今回の記事では
あらすじ(途中からネタバレあり)
↑予告動画
父親のベン・キャッシュは、6人の子ども達と電気も電波もない人里離れたワシントン州の森の中に住んでいる。
ベンは、元アナーキスト活動家。
資本主義や現代アメリカの生活を否定し、子ども達にサバイバル術や左翼的な政治思考、哲学や自分で考え批判的な思考を持てるような独自の教育を熱心に行っていた。
森で野生動物を狩り、強靭な肉体を作るためにハードなトレーニングを行い、夜には焚き火のそばで様々な本を読ませる。
ベンの教育により、子ども達は強い肉体と6ヶ国語を話せるほどの明晰な頭脳を持っていた。
♢♢♢
ベンの妻で子ども達の母親レスリーは双極性障害により入院していたが、闘病の末自ら命を絶ってしまう。
レスリーの妹ハーパーからこのことを聞いたベンは、子ども達と共に悲しみに暮れる。
ベンはレスリーの父ジャックと葬儀について電話で話すが、ジャックは「葬儀はキリスト教的に行う」「来たら警察を呼ぶ」とベンに告げる。
このままでは、仏教徒であった母レスリーがキリスト教式の葬儀で送り出されてしまう。
レスリーの遺志を尊重したいベンと子ども達は、仏教徒である母を救い出すために2400km離れたレスリーの故郷へ向かうことに。
画像引用:公式Twitter
※ここから先ネタバレがあります。まだ観てない方は注意!
森から出たことのない子ども達は、発展したアメリカの街々の姿に眼を見張る。
途中で寄ったレストランでは初めて目にするホットドッグやコーラに眼を輝かせるが、ベンは「これは毒だ」と言って何も頼まず店を出てしまう。
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その夜、ベンとレスリーの理解者であるレスリーの妹ハーパーの家に泊まる。
全員で夕食を取るが、ベンと子ども達の常識外れな行動に怒るハーパー。
子ども達をきちんと学校に通わせるべきだとベンを説得するが、ベンは耳を貸さないどころか学校に通っているハーパーの子どもと自分の子どもの知識の差を見せつけハーパーを辟易とさせる。
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ハーパーの家を後にした一行はドライブを続け、次の夜はキャンプ場に泊まる。
長男のボゥは、そこで出会ったイマドキ風の少女に一目惚れ。
ファーストキスを奪われるとすぐさま彼女の母親の目の前でプロポーズをするが、少女とその母から「面白い子ね」と鼻で笑われてしまう。
他の人とは違う教育を受け少し変な感性を持ってしまったことに落胆したボゥは、その怒りを父親にぶつける。
実はボゥは、母レスリーと共にこっそり大学(しかもハーバードといったハイクラスの大学)の試験を受け合格通知を受け取っていた。
そのことを勢いでベンに切り出すも、みごとに反対されてしまう。
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その後、一行は遂に母レスリーの故郷であるニューメキシコに到着する。
葬儀らしからぬド派手な格好に身を包み、家族は葬儀が行われている教会に乱入。
画像引用:公式Twitter
しかしレスリーの父ジャックに追い出されてしまい、母親奪還作戦はあえなく失敗。
そんな状況の中、次男のレリアンが日頃溜まっていた父親の教育方針に対する不満をぶつけ、祖父と暮らすと言い出す。
祖父であるジャックもこれを擁護し、孫達の養育権を法廷で争うと言い出した。
ベンと残された子ども達はレリアン奪還作戦を決行するが、祖父の家の2階にいたレリアンの部屋に忍び込もうとした娘ヴェスパーが屋根から落ち、大怪我を負ってしまう。
そのことに責任を感じたベンは義父ジャックに子ども達を任せ、乗ってきたバス(スティーブン)に乗り1人去っていく。
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子ども達から離れ独りとなったベンは、スーパーのトイレに立ち寄り長く伸ばしていたヒゲを剃って身なりを整え、自分なりのけじめをつける。
しかし、実は子ども達は全員こっそりとバスの中に隠れており、父を見捨てたわけではなかった。
子ども達に諭され、ベンとその一行は再びレスリー奪還作戦を決行。
墓からレスリーの遺体を掘り出し、バスで家のある森の中に帰る。
その後は遺言通り、レスリーを火葬。
家族はその周りで音楽を奏でる。
またこちらもレスリーの遺言で、遺骨はトイレに流した。
長男ボゥはこの機会に家族と離れ1人で旅に出ることを決意。大学には進学しない様子。
母の遺骨を流したトイレのある空港から、1人飛行機に乗り旅立つ。
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その後、ベンとその他の子ども達は森の中での暮らしをやめて小さな村で暮らしはじめる。
庭には家庭菜園があり、レスリー奪還作戦の際に使った愛車のバス「スティーブ」はニワトリ小屋となる。
最後のシーンは、柔らかな朝日の差し込むキッチン。
朝食後、スクールバスが来るのを待つ間、子ども達とベンは静かに本を読んで過ごしている所で物語は終わります。
感想
人は、この映画を観て思うでしょう。
「こんな生活ありえないwww 草ぁ!」
と。
ただ元エキストリーム・ヒッピーのドイツ人旦那を持つ私は、この映画を観て思いましたよね。
「ひ、人ごとじゃねぇ、、、!」 と。
↑エキストリーム・ヒッピーだった頃の旦那。
世の中、金・金・金。
そんなシステムが嫌い。合わない。ふぁっく資本主義。
その代わりに母なる自然を愛し、ラブ&ピース!
私の旦那は現在ではそれなりに普通の生活をしていますが、ヒッピーの心はまだ彼の中に生きています。
そんな元ヒッピーの旦那とこの映画を観た時、私は妊娠していたのですが
旦那が「『今の世の中は毒だらけ!自分達も子どもを連れて森の中で生活する!』とか言いだしたらどうしよう、、、」とハラハラしながら観ていました。
、、、まぁ、そんなことは実際には起こらないとは言ってましたけど。
うん、ホント、、、ね。頼みますよ?
「はじまりへの旅」の中の世界は実在する
この映画では、通常ではありえないような森の中でのキャンプ生活が描かれています。
物語自体はフィクションですが、今まで老若男女たくさんのヒッピーを見てきた私によると
この映画の中のような生活を実践している人は、実は意外とたくさんいます。
(この映画の監督であるマット・ロスも、子どもの頃に人里離れたコミューンで生活した経験があるようです。
作中に出てくる「言語学者ノーム・チョムスキーの誕生日を祝う」というくだりも、彼が子どもの頃に実際に行なっていたことなんだとか。)
電気も水道も通っていない森の中で、自然と共に自給自足で生活する人々。
子どもを学校には行かせず、ホームスクーリングで教育する人々。
これらの人々は決して貧しいからそうしているわけではなく、そのようなライフスタイルを選択した人達です。
現在の資本主義社会に嫌気がさし、自らこのような生活を選んだ人達はそれでいいかもしれませんが
そのような人達の間に生まれた子どもやその親は、人と違ったライフスタイルを実践する自分の親や子どもに対して大きな疑問を持つことでしょう。
この「はじまりへの旅」という映画では、そのような人達に訪れる葛藤や対立、和解についても細やかに描かれています。
この映画が伝えたい事とは
映画の中ではそれぞれが自分の道を貫き通そうと悩み、他の人との問題を抱えますが
注目すべきは、誰も誰かを傷つけようとしているわけではない ということ。
現代社会のあり方に疑問を呈し、自分が正しいと思う方法で子ども達を育てるベンも。
本当は大学に行って、他の人たちのように勉強したい長男も。
父の教育方針に疑問を持ち、反発する次男も。
世捨て人のような生活で娘を病気にして死に追いやった義息子を嫌い、仏教徒である娘をキリスト教のやり方であの世に送り出そうとする義父も。
今ある世界に適合し、普通の暮らしを送る義妹家族も。
誰もが、それぞれ自分が1番だと思う方法で生きている。
ただ、違った考えの間には様々な混乱やすれ違いがあるだけで。
「考え方の違い」というのは、いつの世でも誤解やすれ違いを引き起こします。
それはこの映画の中でもそうだし、現在世界で起こっている戦争に関してもそうです。
そのような「考え方の違い」の問題を、この映画では鮮やかに映し出しています。
異なる他者と生きていくために、「考え方の違い」の問題をどうするべきなのか。
それはやはり他者の考えを許容し自分のやり方を押し付けないこと を、すべての人が実践することにあるのではないでしょうか。
まとめ
今回の記事では
映画「はじまりへの旅」のあらすじやネタバレ・感想 について書きました。
「森の中で独自の生活を送っている家族」という点で、この映画は「Leave No Trace」という映画にとてもよく似ています。
双方とも「親と子」という子育ての要素を主題として扱っていますが
両方の映画を観て思ったのは自分のやり方を人に押し付けないこと・人の考えを尊重すること が大切だということです。
何が正しくて悪いかなんて、立場によって変わります。
正解なんかありません。
様々な立場の人が色々な考えを持って生活している中で、人とどう関わっていくかという問題を、この映画では教えようとしているのではないかと感じました。
、、、あと個人的には、ヒッピーが自分のやり方を突き進んだ結果どうなるのかという未来を見ることが出来た点で、非常に興味深い映画でした。
違った考えを持つ人(旦那)と一緒に生活していくのは簡単なことばかりではありませんが、、、上記の点を心に留めて、上手くやっていきたいものです。
おわり!