ドイツ人ストリートミュージシャンと結婚しました。

バスカーでヒッピーな旦那のライフスタイルについて行けるのか!?めんどくさがり屋インドア女子の奮闘記

ドイツで初妊娠・稽留流産しました

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※今回の記事は完全に私事です。
 
記事の内容はタイトル通りですが、自分の気持ちを落ち着けるため&私自身も流産と初めて分かった時に経験者の話をネットで読み漁って情報を得て安心することが出来たので、今後もし誰かのためになればと思いドイツでの初めての妊娠と流産について書きます。
 
内容が内容ですので、読んで気を悪くされる方もいらっしゃるかと思います。
読みたくない方は、そっ閉じお願いします。
 

妊娠発覚

以前、こんな記事を書きました。

ドイツ人と結婚して3年目。
「そろそろ子どもを作ろうか」
という話になったという記事です。
 
(絵日記に関してはまぁ、完全に私の憧れなんですが、、、。)
 
その後、旦那が子どもの干支や星座にこだわりがあったので、できる限りでタイミングをみて妊活を始めました。
 
結果、妊活を始めて2ヶ月で妊娠しました。
 
生理予定日から4日後に市販の妊娠検査薬(生理予定日から使えるタイプ)を使って、陽性反応が出ました。
 
自分の中では「子どもは避妊しなければすぐ出来るもの」という考えがあったので最初の月に妊娠しなかったのはガッカリしましたが、、、
友達に話を聞くと1年以上できなかったという人もいたので、私はその点では恵まれていました。
 
妊娠が分かった時は、本当に嬉しかった。
自分の中にもう1人の人間が生きていることが本当に本当に不思議で、同時に新しく家族が増える事がたまらなく嬉しかったです。
 
ただ、大きな不安もありました。
 
私自身初めての、そしてドイツという異国の地での妊娠でしたので、とにかく妊娠について、ネットでめちゃくちゃに調べまくりました。
 
妊娠中に食べてはいけないものをリストアップしたり、いつも以上にバランスの良い食事を心掛けたり。
足として使っていた自転車に乗るのを止め、その代わり毎日運動代わりに散歩をしたり。
 
気をつけることは多かったですが、自分のためだけでなくお腹の中の赤ちゃんのためだと思えば、色々と工夫して毎日楽しく過ごすことが出来ました。
 

産婦人科へ

妊娠検査薬で陽性が出てから1週間半後に初めて産婦人科に行き、胎嚢が確認できました。
 
その2週間後の検診では、心拍も確認出来ました。
(私には見えなかったのですが、、、先生は「動いてるよ」と。)
 
心拍が確認できた2回目の検診の時点では最終生理日から数えて妊娠7週だったのですが、胎嚢がまだ小さかったのか実際は妊娠6週だという診断を受けました。
出産予定日も1週間ほど遅い日付に変更になりました。
 
そして心拍が確認出来たので、この日にMutterpass(日本で言う母子手帳)を貰いました。
 

両親に妊娠を報告

心拍が確認できたタイミングで、両方の親に妊娠の報告も行ないました。
 
私の両親も旦那の両親も、妊娠をとても喜んでくれました。
 
どちらにもまだ孫はいないし、特に旦那の両親は70歳と高齢でずっと孫を欲しがっていたので、喜びもひとしおだったと思います。
 
妊娠が分かった時も嬉しかったですが、周りとその喜びを分かち合えた時が1番嬉しかったな。
 
旦那とは子どもとの楽しい将来のことをいろいろと話し合ったし、旦那の叔母さんに至っては既にベビーベッドを手配してくれました。
(気が早すぎる、、、!でも気持ちが嬉しかった。)
 

8週目、3回目の検診にて

心拍確認から2週間後、3回目の検診に行く時は幸せいっぱいな気持ちでした。
 
「2週間のうちにどの位大きくなってるかな。」
「今回こそ、ピコピコ動く心臓が見られるかな。」
そんな楽しい気持ちで迎えた8月29日(水)、3回目の検診日。
 
尿検査や血圧・体重検査を終え、先生と少し話をしてエコーのために診察台に上がりました。
 
前回と同じようにスティック状の器具を膣内に入れて胎児の状態を確認したのですが、その時に先生の表情が徐々に曇っていくのが分かりました。
エコー画面をじっと見つめ、様々な角度から子宮を見ようと器具を持った手をせわしなく動かしていました。
 
エコー写真って、特に最初の頃は何が何だかよく分からないんですよね。
ただ素人目に見ても、今見ているエコー画像は前回のものと比べて何かがおかしいと感じました。
 
前回と比べて2頭身(というか2つの丸)っぽい形にはなっているのですが、大きさは前回と同じくらいだし、何より生気がないと感じました。
 
前回までのエコーでは、微弱ながらに羊水内の小さなものが動いていた(ように見えた)し、なんだか中身も詰まっている感じがしたんですが
今回は全く動いておらず、2つの丸の中もなんだか中身が足りないような感じがしました。
 
もちろん、心臓らしきピコピコも全く見えず。
 
『でも早い時期では影に隠れて見えない事もあるから、また1週間後、、、いや、2日後にエコーで見てみようか。次回は旦那さんと一緒に来てくれる?』
ということを先生に言われました。
 
私はドイツ語がそこまで上手くない上にとにかく専門用語が多かったので、その時は先生の言ったことを理解するのに精一杯でまだ事態がうまくのみ込めていませんでした。
 
診察が終わり、受付で何かの薬(なんの薬かは結局よく分からなかった)の処方箋をもらって病院を出ました。
 

もしかしたら、稽留流産?

「先生の話すドイツ語をきちんと理解しなくては」というプレッシャーがなくなると、徐々に今起こったことが脳内を駆け巡るように。
 
「1度確認できた心拍が、確認できないことなんてあるのか?」
「エコーの棒であそこまでグリグリしていろんな角度で見たのに、見えないなんてことはあるのか?」
「前回の検診から2週間経っているのに、なぜ胎児はまだ小さいままなのか?(8wにも関わらず「大きさは6wくらい」と言われた)」
「そもそも、診察後先生はなぜあんなに同情こもった目で私を見、そしてそっと膝の上に手を置いてきたのか。」
 
、、、そんな事を考えるとたまらなくなり、病院の外にあったベンチに座って即座にいろんな疑問をネットで調べ始めました。
 
小一時間ほど必死に調べてみて分かったのは
「これはもしかしたら稽留(けいりゅう)流産かもしれない」
ということ。
 
稽留流産とは、胎児が亡くなってしまった後もそのまま母親のお腹の中に留まっている状態の流産のこと。
 
流産というとお腹が痛くなったり血が出たりする印象がありますが、稽留流産の場合には自覚症状がないのがほとんどだそうです。
 
確かにこの2週間、お腹が痛くなったことも出血したこともありませんでした。
(妊娠超初期の頃に1度だけ、茶色いおりものが出たことはありましたが。)
 
つわりはまだ来てなかったので分かりませんが、それでも妊娠してからの胸の張りはそのままだったし、食欲旺盛(これも妊娠してからそうなった)もそのままでした。
(流産の疑いが出てからは、逆に食欲なくなっちゃいましたが、、、。)
 
先生が『心拍が確認出来ない』と言ったこと以外、特に以前と違うこともありません。
体の調子も以前と一緒で、体はまだ妊娠が継続したままの状態のようでした。
 
ネットで見た情報だと、「心拍確認後に心拍が見えなくなることはほとんどない」ということでした。
 
先生は『影に隠れて見えないだけかも』と言ってくれたので、2日後の再エコーまで希望は持ち続けたいと思う一方
「赤ちゃんがもうここには居ないのかもしれない」と思うと非常にいたたまれない気持ちになりました。
 
流産は誰にでも起こり得ることで自然の摂理だからと頭では理解しているつもりでも、突然ふと涙が出ることもありました。
 
再エコーまでの2日間、何かを考え出すとどうしてもそのことばかり考えてしまうので、ドラマやアニメを観たり、マンガを読んだり、ちょっと凝った料理を作ってみたりと気を紛らわせるのに苦労しました。
 

再エコーの日

2日後の金曜日、旦那と共に再び病院に行きました。
 
私が行ったのは大きな病院(Krankenhaus、日本でいう総合病院)なのですが
そこには検診の時に行く産婦人科(Gynäkologie)と出産時に行く分娩室(Kreißsaal)があり、再エコーの日には分娩室の方に行くように言われました。
 
分娩室と言っても1部屋ではなく、受付や診察室、入院用の病室などもありました。
 
そこに現れた前回と同じ先生は今日の私との予定をすっかり忘れていたらしく、開口一番『今日って何か約束してたんだっけ、、、?』と言われました。
(めっちゃ失礼、、、。これもドイツあるあるなのか?)
 
とにかく2日前に今日のこの時間に約束したことを伝え、早速エコーで診てもらうことに。
(前回、最低2回は予約日時を確認したので予約日時は間違えてないはず。)
 
エコーの結果、やはり心拍は確認できませんでした。
 
先生曰く、私はどうやら卵巣から出る黄体が弱いらしく黄体機能不全(Corpus Luteum DysfunctionまたはGelbeköperschwäche)だと言われました。
(前回もらった薬は、それ用の薬だったらしい。)
 
『稽留流産(ドイツ語ではこの言葉はなく、英語で「Missed Abotion」だと言われた)の可能性が高い。
もし気持ちが追い付かないようであればまた日を改めてエコーをすることも出来るし、胎児の自然排出を待つことも出来るし、手術をして取り除くことも出来るけど、どうする?』
といったようなことを非常に遠回しな表現で聞かれました。
(それゆえ、最初は何を聞かれてるのかよく分からなかった。)
 
「どうしたいと言われても、私は専門家じゃないので決められない、、、。」
と言ったら
『あなたが決めるのよ。』
と、先生にも旦那にも言われました。
 
「2回エコーで見ても心拍が確認できないということは、今後心臓がまた動き出す可能性はほぼないんですよね?」
と聞いたら、先生は言いにくそうな感じで頷きました。
 
流産を受け入れるのは辛いけど、亡くなった子をお腹の中に留めておく事の方が私にとっては辛いと感じたので、結局手術を受けることにしました。
 
先生も手術するなら早い方がいいと思ったらしく
『週明けの月曜日にもう一度エコーで確認し、もしダメなら手術の手続きに入り火曜日に手術しよう』ということになりました。
 
『月曜日の診察はまたこのKreißsaalの方でするけど、その前に手術の確認書類を産婦人科の方に自分で取りに行ってから来てね。』
と言われ「あぁ、こういうとこドイツっぽいわ、、、」と思いながら分娩室を後にしました。
 
分娩室に来たのは初めてでしたが、産まれたての子どもの姿が見えなくて本当に良かった。
 
流産については比較的冷静に受け止めている方だとは思うけど、それでも今、赤ちゃんや子どもについて何かを見るのは辛い。
 

両親に流産したことを報告

家に帰って来てから、早い方がいいだろうということで妊娠を報告していた両親に流産したことを伝えました。
 
日本にいる私の両親には、妊娠報告の時は電話でしましたが今回はLINEですることに。
あまり心配を掛けたくなかったし、その方が冷静に報告できると思ったので。
 
ただ辛かったのは、旦那が旦那のお母さんに電話で流産を報告した時。
 
分かってはいたけど、すごくガッカリされました。
(私は電話には出ず、旦那と義母のやりとりを聞いていた。)
 
それを聞いていると、また辛くなって涙が、、、。
 
この時期の流産は胎児の染色体異常が主な原因ということで
「流産したのは私のせいではない」と思おうと努める一方、「私が弱いせいで流産したのかな、、、」と思わずにはいられませんでした。
(黄体機能不全もそうだし、2回目の診察時に甲状腺機能が弱いことも指摘されていた。)
 
でも、義母自身も流産を含めて3回以上子どもを失くしているということなので、辛さは分かってもらえたのかなとは思います。
 

お目汚し失礼しました

ダラダラと、ネガティブな話を書いてしまいすみませんでした。
 
ただ、書いたら気分がちょっとスッキリしました。
 
妊娠全体で見ても流産が10%〜15%という思ったより高確率で起こるということは知っていたのですが、心拍確認後の流産率は3〜5%まで下がるということでまさか自分が流産するとは夢にも思っていませんでした。
 
子どものためを思って色々と気を付けていたこととか、楽しみにしていた子どもとの将来が一瞬にして無に帰してしまったことが悲しいというか、虚しいというか、、、。
 
よくよく考えると、心拍が確認できた(と先生が言った)6週目の時点で胎児は弱っていたのではないかと思います。
その2週間後、次に胎児を確認した時の大きさが6週ほどだったので。
 
ただ流産についてはクヨクヨしてもしょうがないことなので、気持ちを切り替えてまた赤ちゃんに戻って来てもらえるように頑張りたいと思います。
 
来週明けに再々エコー、その後には掻爬手術という流れになるとは思いますが
手術を受けるのは小6の時に受けた盲腸の手術以来で、しかもドイツという異国での手術は初めてなので、今はめちゃくちゃ緊張してます。
ちゃんと出来るだろか、、、。
 
再エコーを受けてから茶色いおりものが日に日に増してきてるのですが、もしかしたら体が完全流産(亡くなった赤ちゃんが自然と外に排出されること)に向かっているのかもしれません。
旦那が妊娠時は禁忌のツボを押してくれたり、私もカモミールティー(子宮収縮作用がありこちらも妊娠時は飲んじゃダメなもの)を飲んだりしてみていますが、、、。
自然排出には陣痛ほどの痛みや大量出血を伴う場合もあるようで、それはそれで怖い、、、。
 
とにかく明後日までに何もなければ掻爬手術になりそうですが、手術ついては終わって落ち着いたらまた記事にしようと思います。
 
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
 
おわり!