中編からの続きになります。
最終回の今回は、遠距離恋愛から一緒に住むようになるまでを書いていきます。
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遠距離恋愛
ニュージーランドで恋人として再会を果たした私とドイツ人。
次なる問題は
この距離感。
ニュージーランドで学生をしていたドイツ人と
日本で学生をしていた私。
遠距離恋愛ってやつですね。
まあ学生だったので休みは長い。
夏休みや冬休みをフル稼働して
中間地のオーストラリアで会ったり。
ドイツ帰省中にドイツに会いに行ったり。
はたまた日本に来てもらったり。
そして
会えない時間はバイトして飛行機代を稼ぐ日々。
飛行機代、高すぎ(泣)
でもさぁ、、、でもさぁ、、、
でもこの距離感どうすんの!?
ってなった時に
ある秘策を思いつきました。
一緒の国に住むための秘策
幸い
私の大学と彼の学校は姉妹校だったので
私の大学から彼の学校への留学プログラムがありました。
大学でニュージーランドへの留学生に選ばれた場合
なんと滞在費は大学負担!
定員2名の留学生に選ばれるために
英語の勉強頑張りました。
留学生に選ばれるためには
TOEFLという死ぬほど難しい英語のテストでいい点を取らなければいけなかったので
勉強してテスト受けました。
結果
合格点にとどかず。
チーン(合掌)
でもなんと
それにもかかわらず
留学生に選ばれました!
なぜかというと
定員2名のところ
応募してきたの2人。
え、ちょっと人気なさすぎじゃない!?
しかも
うち1人不合格。
まさかのセルフ定員割れ
ちょっと意味わかんない。
というわけで
たった1人の大学代表として
大学を1年休学して
行ってきましたニュージーランド1年留学
ニュージーランドへ1年留学
人生3度目の留学inニュージーランド。
やってきたのは
ニュージーランド南島の最南端の街。
つまり
南半球にあるニュージーランドの中で
一番寒い街。
もうね
南極からの風がビュービュー吹き付けてね。
そして田舎。超田舎。
なんもない。
そして
かのミック・ジャガーが
Sekai no Ketsu no Ana
と呼んだ街。
そんなのもはや逆に伝説。
留学自体はとても楽しかったです。
半年英語を集中的にやって
後の半年は英語で違うコースを受けられるということで
スウェーデン式マッサージのコースを受けました。
ニュージーランドまで語学留学に行って
スウェーデン式マッサージ。
意味わかんないと思われるかもしれませんが
そのコースに一番興味があったんです。
だって
ビジネスのコースとかだと普通すぎて。
全然興味もなかったし。
しかもビジネスコースはインド人だらけでした。なぜか。
なぜかスパイスのにおいが教室を制してました。
ちなみに
休み時間中の彼らのお気に入りドリンクは
ホットミルク
インド人はみんな飲んでましたね、ホットミルク。
逆にホットミルク飲んでない人はインド人じゃない、みたいな?
流行ってたんですかね。
それともインドの国民飲料はホットミルクなのでしょうか。
よくわかりません。
とにかく
コース自体は、すごく面白かったです。
そして結構難しかった。
実技はまあ見よう見まねでやってましたが
座学が難しかった。解剖学とか生理学とか。
骨の名前とか筋肉の名前とか
専門用語のオンパレードで
現地の学生もポカーンになってました。
無事に修了できて良かったです。
ホームステイ
一応大学の代表として留学したので
基本はホームステイでした。
というか
ホームステイを想定してのプログラムでした。
大学がホームステイ代も払ってくれるので
最初はホームステイしたんです
が、
1か月で辞めました。
なぜなら
ドイツ人が「そんなハズじゃ、、、」ってなったから。
ヨーロッパでは
カップルは一緒に住むもの!
って思ってる人、ホント多いです。
結果的にホームステイ先から出て2人で暮らしたんですが
当時まだ学生だった私。
大学からホームステイ代が出てるので
大学側からも非難ごうごう。
両親も
「お前は何をしにニュージーランドに行ったんだ」
と激おこされました。
うーん、
ごもっとも。
なんか不良学生になったみたいで辛かったですが
1年終わって日本に帰ったら別に何も言われなかったので良かったです。
大学がホームステイ代として払うはずだったお金も生活費として振り込まれました。
というわけで無事
同じ国で一緒に住むことに成功したのでした。
就職
無事留学も終わり、日本に帰国。
大学4年生が始まり
とうとう私も就活生に。
将来的に
彼と住むために日本を出る気ではいましたが
せっかく大学まで行かせてくれた親の為にも
1回は日本で就職しようとは思いました。
就職活動で受けた会社の数は、、、(以下省略)
無事に就職も決まり
同級生から1年遅れて
2011年4月から新社会人に。
会社の新卒研修に参加したり
初の1人暮らしのための準備をしたりで忙しい中で
東日本大震災が発生。
私や家族に被害はなかったものの
その時ドイツにいた彼は大混乱。
当時ドイツでの東日本大震災に対する報道はひどかったらしいです。
とくに放射線の問題に関して。
もう日本人みんな被爆してしまう!
ぐらいな感じ。
さすがにオーバーすぎ。
旦那は「すぐにでもドイツに逃げて来い」としょっちゅう連絡を寄こしてきましたが
あんなに苦労してやっと就職先が見つかって
やっと始まった新社会人1年目。
そんなこといわれてもなぁ、、、。
最低1年は日本で働く気でいましたが
「将来、放射線に汚染された子どもを産みたくない」
と言われ
しぶしぶドイツに行くことを決めました。
もちろんそんなのは放射能とかは信じていませんが
昔から
「子どもみたいに責任の重いものに縛られたくない」
とか言ってたのに
「なんだ、そんな事も考えてたのか、、、」
と、ちょっとだけ嬉しくなったっていうのもあると思います。
子ども産む予定は、まだ今のところはありませんが。
そして、ドイツへ
2011年9月にドイツのハンブルグへ移住。
去年2015年に結婚。
(ビザ切れそうだった)
そして現在に至ります。
なぜドイツに住んでいるのか
なぜドイツに住んでいるのかを書こうと思っただけなのに
ずいぶんと長くなってしまいました;
まあ
簡単に言うと
「東日本大震災があったから」
ということになるんでしょうか。
私の就職先も決まっていたし
もし何もなければ
旦那もしばらく日本に住む予定でした。
日本語しゃべれないのに。
まあ
私の就職先も
労働時間が長くわりとブラックっぽいところだったので
結果これで良かったのかもしれません。
旦那も日本語しゃべれないし。
ところが
ドイツに来たら来たで
また苦労もいっぱいでした。
最初の頃はとくに辛かったなぁ、、、(遠い目)
ドイツに来てからのことも
そのうち書きたいと思います。
長い話を読んでくださり、ありがとうございました!
おわり!
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