ドイツ人ストリートミュージシャンと結婚しました。

バスカーでヒッピーな旦那のライフスタイルについて行けるのか!?めんどくさがり屋インドア女子の奮闘記

「さよなら」だけが人生なのか?

「花に嵐の たとえもあるさ
さよならだけが 人生だ」
 
ドイツ人旦那と長距離恋愛中だった頃、私は空港が嫌いだった。
 
頻繁に会うことの出来ない距離に住む私たちが久しぶりに再会するのは、いつも空港。
 
楽しい時間はあっという間に過ぎ「さよなら」を言うのも、いつも空港。
 
その別れは、いつも胸を切り裂かれるように辛いものだった。
 

同じ場所に帰ることの幸せ

7年前、福島で起こった原発事故に背中を押されるような形でドイツにやって来た。
 
それからというもの、毎回ではないけど旅行に行く時は旦那と同じ飛行機に乗る。
 
帰る場所が同じであること。
 
空港で「さよなら」を言わなくていいことに、噛みしめるような幸せを感じる。
 

さよならを言う機会が増えた

ただし、ドイツに来たことで逆に「さよなら」を言う機会が増えた。
 
日本にいる家族や友人に、だ。
 
楽しくも短い日本への一時帰国を終える度、日本にいる人達に別れを告げなくてはいけない。
 
毎回母が空港まで見送りに来てくれるが、「さよなら」を言う時はいつも悲しくて涙が出る。
 

本当の「さよなら」ではない

それは分かっている。
 
分かっているが、どうしても辛い。
 
この先海外に住み続けることになる場合。
1年に1回日本に帰ったとしてもあと何回、わたしの愛する人達に会うことが出来るのだろうか。
 

今と昔、どちらが幸せだろうか

今の自分は、自分の過去の選択により生まれた。
 
そのことに後悔はない。
 
後悔はないが
空港で旦那に「さよなら」を言っていた頃と、日本の家族に「さよなら」を言っている今。
 
どちらもすごく幸せで、そしてすごく悲しい。
 
誰にも「さよなら」を言わず
好きな人たちとずっと一緒にいる道はないものか。
 

出会いに別れは必然である

「さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう。
遥かなるかな地の果てに 咲いてる花はなんだろう。」
 
寺山修司氏による、冒頭に書いた詩への答えだ。
 
私はこの詩が好きだ。
 
海外に来て、人と出会うことも増えた。
旅好きな旦那のおかげだ。
 
その中で素敵な出会いもたくさんあった。
 
その分たくさんの「さよなら」があったが、それは辛いことではなくむしろ人生の糧となる部分の方が大きかった。
 

さよならには質がある

自分の人生をただ通り過ぎて行くだけの人に言う「さよなら」と、自分が生涯大切に思う人への「さよなら」は根本的に違う。
 
前者は何度起こっても人生の血となり肉となるが、後者はただ辛いだけだ。
 
「さよなら」だけが人生ではないが、私は「さよなら」に振り回される人生を選んだ。
 
愛する人との「さよなら」は考えてもどうにもならない事なので出来る限り考えないようにはしている。
 
ただ、ドイツのクリスマスや日本の正月など家族が集まるイベントの多いこの時期は特にそんな事を考えてしまう。
 

最後に

なんだか全くまとまっていなくてすみません。
 
海外在住だと大切な人に「さよなら」を言う機会が多い、という話でした。
 
普段は考えないようにしていることですが
家族のイベントが多いこの時期は、どうしてもいろいろと考えてしまう、、、。
 
こればっかりはどうしようもない事なので、出来れば考えずに済ませたいんですけどね。
楽しい事だけを頭の中に思い浮かべていたい。
 
ところで、私が大好きな本「書を捨てよ、町へ出よう」の中で著者・寺山修司はこう言っています。
旅するのは、いわば風景を「捨てる」ことだと思うことがある。
まずは来たるべき3ヶ月間の東南アジア旅行に向けて、捨てる準備、さよならを言う準備をしていきます。
 
出発まであと1日!
 
おわり!