ドイツ人ストリートミュージシャンと結婚しました。

バスカーでヒッピーな旦那のライフスタイルについて行けるのか!?めんどくさがり屋インドア女子の奮闘記

人種差別を理由に引退した元ドイツ代表エジルの言い分に対して感じる違和感

トルコ系ドイツ人でありサッカードイツ代表のメスト・エジル選手が、人種差別を理由に代表引退を宣言したことがドイツ国内で話題となっている。

 

今回の記事では、ドイツ在住の筆者がエジル選手の代表引退を受けて感じた違和感について書いていく。

 

エジルのドイツ代表引退表明文

まずは、エジルのTwitterに掲載されドイツでも大きな話題を呼んだ代表引退表明文をかいつまんで(といってもほぼ全文だが)意訳していく。

 

英語で書かれたこの代表引退表明は3部で構成されているが、 エジルが最も言いたいのであろう部分や要点は太字で、また()内で内容の補足を行った。

 

①エルドアン大統領との面会

他の多くの人と同じように、僕の祖先も1つ以上の国にルーツを持つ。僕はドイツで育ったが、僕の家族はトルコに深いルーツを持っている。僕には2つのハートがあり、それはすなわちドイツとトルコだ。

子どもの頃、母はいつも「自分がどこから来たのかに敬意を払い、そしてそれを決して忘れないように」と僕に言い聞かせ、その教えは今でも僕の糧となっている。

 

今年の5月、ロンドンで行われた慈善と教育のイベントで、トルコのエルドアン大統領と面会した。僕が彼に初めて会ったのは2010年、ベルリンで行われたドイツ対トルコの試合を、エルドアン大統領とメルケル首相が一緒に観戦した後だった。その後は、世界の至る所で彼に会う機会があった。

僕がエルドアン大統領と撮った写真は、ドイツのメディアから大きな反響を呼んだ。ある人は僕のことを嘘つきで欺瞞に満ちていると訴えたが、僕たちの写真には政治的な意図などなかった。

先にも書いた通り、母は決して僕に祖先(トルコ)のしきたりや文化を忘れさせようとはしなかった。僕にとってエルドアン大統領と写真を撮ることは政治でも選挙でもなく、僕の祖先の国に敬意を払う行為だったのだ。

僕はサッカー選手で政治家ではなく、僕らの面会はどの政治家を推奨するものでもなかった。実際、僕らはいつもサッカーの話(彼は若い頃サッカー選手だった)しかしなかったのだから。

 

ドイツのメディアは違う解釈をしているようだが、真実としては、大統領に会わないことは僕の祖先のルーツに対する不敬であったということと、僕の祖先も僕が今ここに居ることを尊敬してくれただろうということだ。

僕にとって誰が大統領かは関係のないことで、ただ大統領であることが重要だった。(どんな国であれ、その国の)政治事務所に尊敬を持って接することは、エルドアン大統領がロンドンを訪れた際にエリザベス女王とメイ首相が行ったことであると僕は信じている。それがトルコの大統領であろうとドイツの大統領であろうと、僕の行動に変わりはない。

 

多くの国や文化では、政治的なリーダーとその人の本当の人柄を分けて考えるようなことはしないから、僕が言ったことを理解してもらうのは難しいのかもしれない。ただ、今回の場合は別だ。(トルコでの)次の選挙や前回の選挙がどうであれ、僕は(大統領と)写真を撮ったであろう。

 

②メディアとスポンサー

僕は自分が、世界でもトップ3に入るリーグでプレイするサッカー選手であることを自覚している。ブンデスリーガやリーガ・エスパニョーラにいた時も、そしてプレミアリーグにいる今も、チームメイトやコーチスタッフから大きなサポートを得ることが出来ており、それはとても恵まれたことだと考えている。

そしてまた僕は、キャリアを積み上げていく中でメディアとの関わり方についても学んだ。

 

たくさんの人が僕のパフォーマンスについて話すが、その中には多くの賞賛があり、多くの批判がある。

もし新聞記者や専門家が僕の出ている試合中にミスを見つけた場合、僕はそれを受け入れることが出来る。僕は完璧なサッカー選手ではないし、このことはしばしば僕にハードなトレーニングに対するモチベーションを与えてくれる。

ただ僕が受け入れられないのは、ドイツのメディアが繰り返し繰り返し僕の二重国籍について非難することだ。

 

あるドイツの新聞は、彼らの政治的な理由のため、僕のルーツとエルドアン大統領との写真を右翼のプロパガンダとして利用している。

なぜあの写真と僕の名前が入ったのニュースのヘッドラインが、ロシアでの敗退の直接的な原因を説明出来るというのか?彼らは僕やチームのパフォーマンスについては批判せず、僕のトルコの祖先や生い立ちへの尊敬ばかりを責め立てるんだ。

この件は、個人に対しての超えてはいけない一線を越えてしまった。新聞各社が僕をドイツという国の敵に仕立てようとしているのだ。

 

また僕を失望させたのは、ドイツのメディアが持つダブルスタンダードだ。

ドイツの元代表でありキャプテンであったローター・マテウスが数日前、他国の大統領(ロシアのプーチン大統領)と会った時は、メディアからはほとんどどんな批判も受けなかった。彼のDFB(ドイツサッカー連盟)での地位に関わらず、メディアは彼に公的な説明も懲罰も求めなかった。

もしメディアが、僕がドイツ代表を去るべきだと考えるなら、彼も名誉キャプテンの称号を剥奪されるべきではないのか。僕がトルコ系だから、ターゲットにされるのか?

 

僕は常々「パートナーシップ」という言葉は「サポート」を意味し、良い時も辛い時もそれは同じだと思っていた。

最近、僕は慈善事業のパートナー2団体と共にゲルゼンキルヒェン(ドイツ)にある僕の母校を訪れる計画を立てていた。1年前、貧しい移民家族出身の子どものためのサッカープロジェクトを立ち上げたのだ。しかしながら予定していた日の数日前、僕はその「パートナー」から見捨てられた。彼らはその時にはもう、僕と一緒に仕事はしたくなかったのだ。

そして学校は僕のマネジメントに「メディアが怖いから、今は来てほしくない」旨を伝えてきた。僕とエルドアン大統領の写真の件で、特にギルゼンキルヒェンの右翼党派を刺激することを恐れてのことだった。

このことのすべては実際、僕をとても傷つけた。僕は以前ここの生徒であったにも関わらず、僕は彼らにとって不要で価値のないものであると感じた。

 

加えて僕は、他のスポンサーからも~(解読不可)された。

彼らはDFBのスポンサーでもあったので、僕はW杯のプロモーションビデオへの参加を求められていた。エルドアン大統領との写真の後、僕はキャンペーンから外され、予定されていたプロモーション活動もすべてキャンセルされた。彼らにとって、キャンペーンに僕がいることは良くないことで、その状況は「危機管理」と呼ばれるものだった。

このことはすべて皮肉なことで、なぜならドイツ政府は彼らの製品は違法で、規格外のソフトウェアが使われており、顧客をリスクに晒すものとして申し立てを行ったからだ。何百何千もの彼らの商品がリコールとなった。

僕がDFBから非難され、僕の行動を正当化するよう求められていた時、そのDFBのスポンサーには正式で公的な説明要求がなかった。なぜ?このこと(スポンサーが起こした事)は、僕が家族の国の大統領と写真を撮ったことよりも悪い事だと考えるのは、正しい事だというのに。DFBは、このすべてについて何と言うべきだろう?

 

先に言った通り、「パートナー」とはどんな状況になろうと君に寄り添うものだ。

アディダスとBeats and Bigshoeは非常に忠実で、一緒に働くのに素晴らしい相手でいてくれた。彼らはドイツのメディアが報じたナンセンスを物ともせず、僕たちのプロジェクトをプロフェッショナルなマナーを持って進めてくれた。

W杯期間中、僕はBigshoeと共にロシアで23人の子どもの人生を変える手術を行う手伝いをした。これは以前ブラジルでも、アフリカでも行ったことだ。これは僕がサッカー選手として行う最も重要なことだが、新聞各社は未だにこのようなことを問題提起するスペースを持たない。

彼らにとっては、僕が野次られたり大統領と一緒に写真を撮ったりすることの方が、世界中の子どもの手術を助けることより意義深いことであるらしい。彼らは問題提起をするプラットフォームとファンドを持ちながら、そうはしないことを選んだのだ。

 

 ※第3部はとてつもなく長いので、所々省いていく。

 

③DFB(ドイツサッカー連盟)

この数か月僕を最もイライラさせたのは、DFB、特に会長であるラインハルト・グリンデル氏からの不当な扱いだ。 

【DFB会長グリンデルへの批判】

仕事をまともにこなすことも出来ない彼の無能さのスケープゴートになるのは、これ以上耐えられない。写真報道の後、彼が僕をチームから外したがっていたのは知っている。何も考えず、誰にも相談せずにツイッターで自分の見解を伝えていたのだから。

ヨアヒム・レーヴ(監督)とオリバー・ビアホフ(チームマネージャー)が僕のことをサポートしてくれたが、グリンデルと彼のサポーターの目には、僕たちが勝てば僕はドイツ人に、負ければ移民に映るんだ。それは、ドイツで納税しても、ドイツの学校に寄付しても、ドイツのチームとともに2014年にW杯を勝ち取っても、僕はいまだに社会に受け入れられていないからだ。僕は「異なるもの」として扱われている。

僕は2010年、ドイツ社会における移民の成功例として「Bambi Award」を受賞したし、2014年にはドイツ連邦共和国から「Silver Laurel Leaf」も受賞した。2015年には「ドイツサッカー大使」でもあった。それでも、僕はドイツ人ではないのか?僕には当てはまらない、完全なドイツ人になるための基準でもあるのか?

僕の友達のルーカス・ポドルスキやミロスラフ・クローゼ(共に元ドイツ代表)がポーランド系ドイツ人と紹介されことはないのに、なぜ僕はトルコ系ドイツ人と呼ばれるのか?トルコだからなのか?それとも僕がイスラム教徒だから?

ここには重要な問題が横たわっている。トルコ系ドイツ人と呼ばれること自体、既に1つ以上の国を家族に持つ人を区別している。僕はドイツで生まれドイツで教育を受けたのに、なぜ人々は僕をドイツ人として受け入れてくれないのか?

 

グリンデルのような意見は至る所で見ることができる。Bernd Holzhauer(ドイツの政治家)は、エルドアン大統領との写真と僕のルーツのために、僕のことを「goat f*ker」と呼んだ。そして、Werner Steer(ミュンヘンにある劇場の支配人)は僕に「piss off to Anatolia(アナトリア半島=トルコに帰れ)」と言った。

前にも言った通り、僕の祖先のことを非難したり罵るのは恥じるべき醜態だ。そして差別を政治のプロパガンダの道具として使うことは、今すぐにでもその恥ずべき人物を辞任という結果に追いこむべき悪だ。そのような人達は僕とエルドアン大統領の写真を、彼らの過去に隠された人種差別的な傾向を表現するため使った。このことは、社会にとって危険な事だ。

このような人々は、スウェーデン戦後に「トルコの豚はトルコに帰れ、エジル!」と僕に言い放ったドイツ人ファンとさして変わらないのだ。

僕や僕の家族がSMSで受け取った脅しの電話やコメントについては、正直話したくさえない。彼らは皆、新しい文化に寛容でない、僕が尊敬出来ない過去のドイツの代表者なのだ。多くの誇るべき、開かれた社会を愛するドイツ人が、僕の意見に賛成してくれると自信を持っている。

 【グリンデルが過去に行った人種差別的行動への非難】

DFBやその他からの扱いを受けて、僕はもうドイツ代表のユニフォームを着たくなくなった。僕は誰からも望まれておらず、世界デビューした2009年から成し遂げてきたことが忘れ去られてしまったと感じている。人種差別の背景を持つ人々は、多くの選手が2つの祖国を持つ世界一大きなサッカー連盟で働くことを許されるべきではない。

 

最近起こったことのせいで多くを考え、心が重くなってしまった。

差別され軽蔑されたという気持ちのままでは、僕はもはや世界レベルでドイツのためにプレイしないであろう。以前の僕は大きなプライドと興奮を持ってドイツ代表のユニフォームを着たが、今はそうではない。

僕はいつでも自分のすべてをチームメイトやコーチスタッフ、善良なドイツ人に捧げてきたので、このような決断を下すのは非常に難しいことだった。ただDFBが僕のトルコ人としてのルーツを軽蔑し、勝手に政治のプロパガンダとして利用するのはもうたくさんだ。

これは僕がサッカーをプレイする理由ではないし、このことを無視したり何もしないような事もしない。人種差別は決して受け入れられるべきではない。

 

1人のトルコ系ドイツ人としてエジルが感じた思いは、真摯に受け止められるべき

エジルに対する差別的な言葉があったのは事実なので、そのことに関しては国もサッカー協会もドイツ国民も、彼の言葉を真摯に受け取るべきだ。

 

エジルが差別的な言葉に傷ついたのはもっともなことだし、このようなイジメは絶対になくなるべきである。

 

ドイツ代表は今回のW杯で全く良い成績を残せていないが、もし本当にそれをエジルのルーツのせいにしている人がいるのなら、それは人種差別として罰せられるべきである。

またDFBはそのような状況から、選手(エジル)を守る立場を取るべきであった。

 

ただし、エジルの行動がすべて正しかったとは思わない

エジルが人種差別をされ辛い思いをしたのは、外国人としてドイツに住む筆者にも痛いくらいに理解できる。

ただ、エジルが取った行動が正しいものであったとは到底言うことができない。

 

彼は繰り返し故郷トルコへの愛を語っているが、祖国に敬意を払う行為であれば何をしても許されるわけではない。

特に、彼は一般人ではなく「ドイツ」の代表選手なのだから。

 

エルドアン大統領との写真を正当化しようとするエジル

まずは、事の発端となったトルコのエルドアン大統領との写真である。

 

彼はTwitterで

「僕たちの写真に政治的な意図などなかった。」

「僕にとってエルドアン大統領と写真を撮ることは政治でも選挙でもなく、僕の祖先の国に敬意を払う行為だったのだ。」

と述べているが、それは彼のスタンスであってドイツ国民の捉え方とは大きく異なる。

 

彼の中でエルドアン大統領との写真は祖国に敬意を払うための全く正しい出来事となっているが、大半のドイツ国民はあの写真をそういう風には考えない。

ここが、第一の違和感である。

 

確かに、二重国籍者が双方の大統領と写真を撮るのは特に問題がない行為だろう。

母国の大統領と写真を撮るのは名誉なことだし、SMSにアップして自慢したい気持ちも分かる。

 

ただしエジルの場合、タイミングが悪い。悪すぎた。

 

この写真が問題となったのは、5月。

6月のW杯を目前に控えての出来事だった。

 

サッカー大国として広く知られるドイツ。

国民の愛国心が1番高まるが、まさにW杯前なのである。

 

歴史上の反省から普段はむやみに国旗を掲げないドイツ国民であるが、W杯の時だけは別だ。

どの家にも車にもドイツ国旗がはためく。W杯前の時期というのは、ドイツ人がドイツ人であることを最も誇りに思う時期なのだ。

 

そんな時期に、「ドイツのサッカー代表」が、もう1つの故郷であるトルコの大統領と写真を撮る。

エジルはそうは考えていないようだが、ドイツ代表を応援するドイツ人からすると違和感を感じるのも無理はない。

 

ただこれだけなら、もしかしたらそこまで問題にはならなかったのかもしれない。

1番まずかったのが、写真を撮った相手がエルドアン大統領であったことだ。

 

エルドアン大統領は独裁者として受け止められており、人権問題で国際的にも批判を浴びている。

そんなエルドアンがトルコの大統領に就任して以来、ドイツとトルコの関係は悪化の一途を辿っている。

そのことを、ドイツ人でもあるエジルが知らないわけはないだろう。

 

またトルコでは、6月に大統領選を控えていた。

 

この写真が問題となる少し前、ドイツ国内で選挙活動を行うトルコの政治家が問題になったばかりであった。

トルコの政治家がドイツで政治活動を行うほどドイツにはトルコ系が多いということだが、この出来事はドイツ人から非常にネガティブに受け止められた。

 

そんな出来事があった後ということもあり、エジルがエルドアン大統領の広告塔として利用されたと考える人がいても全くおかしくはないだろう。

 

エジルは政治的な意図を否定しているが、その他大勢が別の意図を捉えてしまえばそれが事実となってしまう。

ドイツ国内で政治のプロパガンダとして利用されたことに苦言を呈すエジルだが、そのような「勘違い」をさせるような行動を取ったのもまた彼自身なのである。

 

更に、数年前からドイツで続くイスラム系移民への不安感がある。

 

トルコ系移民には直接関係のないことではあるが、イスラム教国であるトルコで独裁を続けるエルドアン大統領との写真が、ドイツ国民に不快感を与えたのは事実である。

 

ドイツ国民の愛国心が1番高まるW杯前。

トルコ大統領選の直前。

独裁者と名高い、ドイツとはあまりいい関係を築けていない他国の大統領。

移民問題が大きくなる中での、ドイツ代表のイスラム系の祖国に対する忠誠心。

 

この時期のこの写真が、ドイツ国民からどんな捉えられ方をするか。

それが分からないほど、エジルもバカではあるまい。

 

他人の意見は二の次で自分の意見を押し通そうとするのはドイツ人らしいといえばそうだが、エジルがまずかったのはドイツ代表として、ドイツ人の心に配慮出来なかった点だ。

 

・・・・・

エジルとは直接関係のない話ではあるが、興味深い記事を見つけた。

 

エジルが敬意を払う祖国トルコはクルド人を人種差別しているという、クルド系ドイツ人サッカー選手の言い分だ。

www.goal.com

物事の見方は人それぞれである。

 

エジルはただ問題から逃げているだけだ

Twitter上の引退宣言を読むと、エジルは人種差別に追い詰められて引退したのではなく、むしろ自分の行った問題行動を棚に上げ、論点をすり替えて逃げているように感じる。

 

確かにDFBの態度はまずかったが、それでもエルドアン大統領との写真がドイツでどのように捉えられるかは棚に上げ、過去に遡ってまでグリンデル氏を非難するエジルのやり方もプロフェッショナルとは言い難い。

 

また、自分のことを見捨てたスポンサーへの態度にも違和感を感じる。

 

サッカー選手として活躍するエジルの良いイメージをお金で買っているスポンサーが今回の件で手を引くのは特に責められるべきことではないのに、スポンサーを「パートナー」と呼び「自分の辛い時にスポンサーを辞めるなんて酷い!」とでも言いたげな姿勢は、なんとも子どもっぽいと感じた。

 

「僕はドイツで生まれドイツで教育を受けのに、なぜ人々は僕をドイツ人として受け入れてくれない?」

こうした嘆きも、悲劇のヒーロー気取りで大袈裟だ。

なぜなら、ドイツ国民はエジルをドイツ人として受け入れているから。

 

もしドイツ人がエジルをトルコというルーツのせいで受け入れていないのであれば、エジルがドイツ代表に選ばれた2009年にもっと大きな反発があったはずだし、移民政策の成功例として持ち上げるようなこともしなかったはずだし、それに関する様々な賞を受賞することもなかったはずなのだ。

 

ドイツ人が受け入れないのは自分の気持ちや愛国心は認めて欲しいのにドイツ人の気持ちや愛国心は理解しようとしないエジルの行動 である。

自分はドイツ人ファンを理解しようとしないのに、それを無視して「みんな僕のことを受け入れてくれない」というのは甚だおかしな話である。

 

「それでも、僕はドイツ人ではないのか?僕には当てはまらない、完全なドイツ人になるための基準でもあるのか?」

「僕は未だに【異なるもの】として扱われている。」

この主張も、支離滅裂だ。

 

エジルはドイツ国籍を持っているのだから、理論上は完全なドイツ人である。

そもそも「完全なドイツ人」が何であるかは別として、エジルが言いたいのは「ドイツ人にも完全なドイツ人として見られたい」ということだと思うが、彼がトルコ人のルーツを尊重し続ける限りドイツ人から完全なドイツ人として見られるのは、残念ながら難しいことだ。

 

ドイツはキリスト教的な国であり、普通は二重国籍を認めているわけではないからだ。 

見た目が異なるというの点も、少なからず「完全なドイツ人」として見られない理由になり得るだろう。 

 

その点では、どれだけ多くの賞をもらったとしても、エジルは「完全な」ドイツ人になることは出来ない。

程度の差はあるものの、これからも「異質なもの」として扱われるのは移民としてはしょうがないことでもある。

それはエジル自身も分かっていることなのではないだろうか。

 

ただ、エジルが完全なドイツ人でないことが悪いことだとは思わない。

実際彼は、トルコとドイツという2つのハートを持つことを誇りとしているではないか。

 

逆に、エジルはなぜなぜドイツ人から異なるものとして見られない・・・・・・・・・・・・・と思っているのか。

 

ほとんどのトルコ系ドイツ人にはGastarbeiter(出稼ぎ労働者)としてドイツに来たという祖先の歴史があり、その歴史と数の多さから、トルコ系ドイツ人は他の移民とは少し異なる扱いをされることが多い。

 

エジルは「トルコ系」と言われること自体が嫌なようだが、トルコ人が自分たちの文化やコミュニティの殻に閉じこもりなかなかドイツ社会に溶け込まなかった歴史を鑑みても、「トルコ系ドイツ人」という名称はそう簡単にはなくならないだろう。

 

エジルの母も「自分のルーツを忘れるな」と言い聞かせていたというのだから、それはエジルにとっても良い事なのではないか。

 

エジルが目指すべきは「完全なドイツ人」ではなく、「トルコ系としてのドイツ社会への融合」であるべきはずだ。 

 

ドイツは残念ながら、アメリカのように肌の色や信仰など関係なく1つの国を作っていこうという段階にはまだない。

だが、エジルはトルコ系ドイツ人のスターとして、その足がかりを作っていくことは出来るのだ。

 

エジルにしかできない、人種差別との戦い方をしてほしかった

差別されて辛かったのは、分かる。

そのせいで、もうドイツ代表としてはプレイしたくないと思う気持ちも、痛いほど分かる。

 

ただ、トルコ系の選手としてあれだけの成功を収めたエジルだからこそ、ドイツ代表を引退するという「逃げ」の形ではなく、もっと違った形で国民に訴えて欲しかったとも思う。

 

勇気を出して、違った形でドイツにはびこる人種差別と闘ってほしかった。

エジルというスーパースターにしか出来ないやり方が、きっとそこにはあったのではないだろうか。

 

エジルを移民政策の失敗/成功という目で見るのは間違い

元々エジルは、ドイツに多いトルコ系移民の統合成功例として取り上げられてきた。

彼がドイツでどれだけの成功を収めてきたかは、彼自身がTwitterで挙げた数々の賞からも明らかである。

 

今回の件があり、AfD(ドイツの極右政党)は「エジルは統合政策の失敗例だ」とまくし立てているが

そもそもエジルというトップアスリートを「トルコ系移民の成功例」または「失敗例」と見なすのは大きな間違いである。

 

彼は一流のサッカー選手で大金持ち。

W杯ではドイツという国を背負って立つ(立っていた)スターであり、ドイツの世間一般に存在する「移民」とは全く異なる存在なのだ。

そもそもエジルは現在イングランドのアーセナルで活躍しており、ドイツに住んでさえいない。

 

エジルのこの件を、現在問題になっている難民問題と絡めて扱ったり、AfDのように「だからトルコ系の統合政策は失敗だった」と結論付けるのはとんだお門違いである。

 

今回の件から見る、統合のあるべき姿とは

数年前から起こる難民危機もあり、ドイツ人の移民嫌悪の感情は高まってきている。

 

ドイツに住みたい移民にとっても受け入れる側のドイツ人にとっても、きちんとした統合政策は重要でありそれは将来のドイツという国を形作る重要なファクターとなるはずだ。

 

今回のエジルの件で、その移民政策にはまだまだ問題点があるということが再確認された。

 

個人的に重要だと思うのは

移民が彼らのバックグラウンドを捨てるのは不可能だということを再確認すること だと感じる。

 

ドイツ人がドイツ人として、移民にもドイツを愛しドイツという国を優先して欲しいという気持ちは分からなくもないが、移民が心まで完全にドイツ人になることは不可能なのである。

当たり前のことではあるが、このことを意識的に無視している人は非常に多い。

 

ドイツでドイツ人と共に暮らしていくため、移民にドイツ語やドイツ文化を教えていくことはもちろん重要だが、それだけでなくドイツ人にも異文化を持つ人達と一緒に生活していくための心構えが必要なのではないか。

 

「統合」という言葉に関して言えば、ドイツ人だけどドイツ社会に溶け込めていない人もいる。

そういった人達を支援し助けるのが行政であり、家族であり、友達であり、ご近所さんだ。

 

移民には行政からの手助けはあるが、家族や友人、ご近所さんからの援助が欠けている。

 

移民がドイツに溶け込む努力をすることが重要なことには変わりはないが、ドイツ人が移民の家族・友人・ご近所さんの代わりとして移民統合を助ける何かしらのプラットフォームが必要だと感じる。

そのような取り組みが、結果的に人種差別を減らすことにも繋がるのではないだろうか。

 

まとめ

今回の記事では、トルコ系のドイツ代表メスト・エジルが人種差別のために代表を引退した件について、筆者の考えをまとめた。

 

エジルに対する人種差別は確かにあったし、選手を守るべきはずのDFBの対応も悪かった。メディアや一部のドイツ人ファンもやりすぎた。

この点はエジルが感じた辛い気持ちを尊重し、人種差別を改善していけるよう後に繋げていくべきである。

 

ただ、エジルにも「ドイツ」の国の代表として、ドイツ人ファンへ敬意を示せる点があったのではないか。

 

ありのままの自分を見せるのは素晴らしいことだが、特にドイツという看板を背負うスターダムは、トラブルを回避するために自分の見せ方や見られ方についてもっと注意を払うべきである。

 

エジルという優秀な選手が代表を引退してしまったことは非常に残念だが、ドイツが(そしてエジルが)このことから何かを学べることを願っている。

 

 

長文・駄文となりましたが、読んでくださりありがとうございました。

 

 

おわり!