ドイツ人ストリートミュージシャンと結婚しました。

バスカーでヒッピーな旦那のライフスタイルについて行けるのか!?めんどくさがり屋インドア女子の奮闘記

日本での自分と海外での自分がなぜこんなにも違うのかを考察してみた

初めて海外に行ったのは、高校2年生の時でした。

 

その時は

オーストラリアで2週間の短期留学をしたんですが

 

今回は

その頃から今日まで、未だに悩み続けている問題について書こうと思います。

 

「日本での自分と、海外での自分は、なぜこんなにも違うのか。」

 

長い話ですが、お付き合い頂ければ幸いです。

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日本から来た友人と海外で会った時に、違和感を感じた

ドイツに住んで5年になりますが

去年は、多くの友人が日本からドイツに遊びに来てくれました。

 

「多く」といっても、2人ですが。

 

1人は、日本で就職していた時の同期で

もう1人は、中学時代から付き合いある友人です。

 

日本人にはあまり人気のないハンブルクという都市に住んでいることもあり

日本からわざわざハンブルクまで私に会いに来てくれたのかと思うと本当に嬉しかったし、楽しかった

 

、、、のですが。

 

海外で日本の友達と会う時、私はいつも自分が日本で友人にどう接していたのかを思い出せなくて戸惑ってしまいます。

 

同じ友人と日本で会う時は

以前のように、学生時代のように明るくガヤガヤやれるのですが

 

私たちが慣れ親しんだ日本ではない、他の国で友人と会うときは

なぜか、いつものガヤガヤ感が分からなくなってしまいます。

 

この違和感は何だろう

原因は

日本語を話す時の自分と、外国語を話す時の自分全く違う人間みたいだからだと思います。

 

海外に居るときは

外国語(私の場合は英語とドイツ語)を話す環境にいる訳ですが

 

その外国語で話す環境の中日本からの友人がやって来ると、どういう訳か

外国語を話す環境にいる自分(現時点での自分)

日本語を話す環境にいる時の自分(日本から来た友人が知っている自分)が違いすぎて

もしくは、違いすぎるような気がして

 

日本での自分はどんなだったか

日本の友人の前で、どういう風に振舞うべきかが思い出せなくなってしまうのです。

 

日本での自分と、海外での自分

日本語で、日本人と話す時。

 

自分で言うのも何ですが、私はコミュニケーション能力の高い方だと思います。

 

友達と話すのも、知らない人と話すのも

年上の人と話すのも、年下の人と話すのも

特に苦痛に感じたことはありません。

 

日本人で、私と知り合った大体の人は

私について「明るい人」という印象を持つ方が多いと思います。

 

一方

海外で、外国語で話す時。

 

私はシャイで、消極的な人間となります。

 

海外で、例えば今住んでいるドイツで私を知っている人は、私について「静かで、あまり話さない人」という印象を持つことが多いようです。

 

自分でも、外国語(英語、ドイツ語)で話す時の自分は日本語で話す時よりも消極的だと感じています。

 

私は、どこに居ても同じ人間のはずなのに

なぜ全く違う人間のように振舞ってしまうのか。

 

その原因を考えてみました。

 

①言語のレベルの問題

第一に、言語のレベルの問題があると思います。

  

英語が好きで、長年英語を勉強していたり

ドイツに数年住んでいるからと言って

自分の外国語に自信があるわけではありません。

 

自分で話していて気がつくケアレスミスなんかはしょっちゅうありますし

自分では気づいていないミスも随分たくさんあるのではないかと思います。

 

そんな言語に対しての劣等感が、私を消極的な人間に変えているのだと思います。

 

そもそも

言っていることが分からないと、積極的に話せない

という問題もありますが

 

積極的に外国語で話をしなければ

他人が私の言い間違いに気がつく可能性も減る

 

というみっともない感情が、心の中にあるのかと思います。

 

「言葉が分からなくても、積極的に話せる」という人をたまに見かけますが

、、、本当に、尊敬します。

 

言語のレベルにより、性格も変わる

私は3か国語を話しますが

その言語の到達レベルによって、自分の性格も変わるということに最近気がつきました。

 

私は、ドイツ語よりは英語の方が得意ですが

英語で話している時は、ドイツ語で話しているときより積極的に自分の意見を言うことが出来ます。

 

②言語が持つ性質と、自分の相性の問題

また、その言語が持つ性質の問題もあります。

 

ドイツ語の性質

例えば、ドイツ語。

 

ドイツ人は、かなりはっきりとした物言いを好みます。

 

私が最初ドイツに来た時は

ドイツ人のはっきりとした物言いに、怒ったり、悲しんだりすることも多くありました。

 

そんなドイツ人に合わせてか

もしくはドイツ語に合わせてドイツ人の性質が変わったのかは分かりませんが

ドイツ語の言い回しも、はっきりとした物言いをしやすいように構成されていることが多いように感じます。

 

日本語の性質

ドイツ人と比べ、日本人は曖昧な表現をよく使います。

 

「たぶん」

とか

「おそらく」

とか。

 

日本人のそうした「曖昧さを好む」性質を上手く表現するためか

日本語には、曖昧さを上手く表現するための言い回しが多いように思います。

 

言語の性質と、自分の性格との相性

私は、海外より日本に居る時間の方が長かったからか

ドイツ人のようなはっきりとした物言いよりは

曖昧に、誰も傷つけない表現を好む傾向があります。

  

日本人である私が

ドイツ語で、自分の気持ちを表現したい時。

 

自分の気持ちドイツ語の表現に合わせて言い換えなければいけませんが

それはとても難しい作業です。

 

日本語と同じような曖昧な表現をドイツ語でしようと思っても

ドイツ人はそんな曖昧な言い回しを使わない

もしくは

そんな表現自体が元から存在しないということもあります。

 

ということは

自分の考えドイツ語に沿うように、ドイツ人のようにはっきりとした物言いに変える必要がありますが

 

それはつまり、少なからず自分の意見を変えることであり

 

その作業を行っていくことが

日本語を話す時の自分と、外国語(例えばドイツ語)を話す時の自分との間に違和感を生み出す原因だと思います。

 

曖昧さを表現することを好む私の考え

はっきりとした物言いをするのに適している(と私は考える)ドイツ語

相性が悪いのかもしれません。

 

※「ドイツ人」と一括りにしても

はっきりとした物言いをしない人ドイツ人も中にはいると思います。 

そのような人から、ドイツ語の表現を学ぶことが出来れば一番いいのかもしれませんが

残念ながら、私はまだそのような人に出会ったことがありません。

 

③習慣の問題

言語の問題の他に、習慣の問題というのもあります。

 

日本は単一民族・単一言語の国なので

日本語を話す大多数の人というのはつまり日本で生まれ育ち、日本という国のバックグラウンドがある日本人ということになります。

 

同じ日本という文化の中で生まれ育った日本人とは

外国人と話をするよりは話しやすいです。

 

一方

生まれも育ちも、バックグラウンドも全く違う外国人

英語やドイツ語などの外国語で話をする時。

 

彼らの言語を知っていたとしても

彼らの習慣の中から生まれた振舞い方について知ることは、言語を習得するより難しい問題だと感じます。

 

年上人や目上の人と話すには、どういった作法が必要なのか。

親しい人と話す時は、どういう風に話すのか。

 

語学学校では、文法については教えてくれます。

 

ただ、文法的なことではなく

「では実際、どの程度の距離感で、どういった事を話せばいいのか」

という点を、私は気にしすぎてしまうのだと思います。

 

例えば

日本人と、日本語で話す場合。

 

どこまでの事が許されて、どこからがタブーかという微妙なライン

長年日本で生きてきた中で培われた経験により、それなりに分かるようになったと思います。

 

、、、それでも、たまにタブーを犯してしまうこともありますが。

 

一方

外国人と外国語で話す場合。

 

微妙なタブーに関するボーダーラインが分からず

どのように振舞うのが正解なのかどのように振舞えば変に思われないか

という考えに悩まされ

自分の考えを上手く表現できないことが多くあります。

 

微妙な所ですが

そういった習慣の中で生まれる細かなルールを意識しすぎてしまう節が、私にはあります。

 

まとめ

今回は

日本での自分と海外での自分がなぜこんなにも違うのかについて考えてみました。

 

①言語の問題

国民性の違い、なんていう言葉もありますが

その国民性の違いは言語にも反映されているのではないかと感じます。

 

言語の違いは、文化の違い。

 

異なる言語を習得すること

自分の考えを変えることなのではないか、という話でした。

 

②習慣の問題

違う言語を母国語として話す人たちが

日常生活の中で培ってきた様々なルール。

 

それを気にしすぎてしまうことも、自分の性格を変える大きな原因だと思います。

 

、、、私は昔から

変なところに気を使いすぎてしまう所があります。

 

私の振舞い方を気にしている人なんてそもそもいないかもしれないし 

もし何か失礼があったとしても

「この人、外国人だから。」で済まされる問題の方が多いとは思います。

 

ただ、これも元からの性格だと思うとなんとも言えないです。

 

日本に居るときのような

明るい自分が本当の自分だと思いたい気持ちもありますが

海外に居るときのように

自分に自信がなく、人の顔色を窺ってしまうのが本心でもあるような気もします。

 

きっと、どちらも本当の自分なのでしょうね。

 

「日本でも海外でも、自分は自分だ!」

、、、という風に生きていける人は、本当にすごいと思います。

 

あとがき:本当の自分とは

日本での自分と海外での自分がこうも違うというのは、不思議な気持ちで

どれが本当の自分なのかが分からなくなって混乱してしまうことがよくあります。

 

本当の自分が分からないというのは、非常に生きづらいです。

 

弱くとも強くとも「これが自分だ」ということを理解することは

自分の人生を構築する上で大切な要素になると思います。

 

私のように

どれが本当の自分だか分からなくなってしまうことは

ただただ、周囲の環境に流されて生きているだけになっているということだと思います。

 

では

本当の自分を理解するために必要なこととは。

 

日本に戻り、英語とドイツ語を一切使わないようにする。

 

、、、というのも手ですが(笑)

 

そういう訳にもいかないので

 

英語とドイツ語を勉強し、言語の特徴を理解しつつ

文化の面においても怖がることなく飛び込んでいって

 

その人たちや言語を知ることが、本当の自分を理解するのに役立つと思います。

 

今回は、文化の違いについて少しだけネガティブなことを書いてしまいましたが

異なるものを知ることによって

それとはまた違う、自分という存在も見えてくるのではないかと信じています。

 

、、、と、言うは易しなんですけどね^^;

 

異なるものを学んだその先に

パワーアップした本当の自分が見つけられますように。

 

 

おわり!