嘘をつくのが嫌いです。
もちろん嘘をついた方がスムーズに進むこともあるし
知らず知らずのうちに、その場に合わせた小さな嘘を付いているんだろうとは思いますが。
それでも
出来れば嘘はつきたくないし、自分に正直に生きたい。
今回は
正直に生きるのは大切だけど、思いやりは忘れないでねっていう話を書きます。
(というか、ほぼグチです。)
旦那は嘘をつくことが非常に少ない
私のドイツ人旦那は、ほとんど嘘をつきません。
いつも自分に正直。
私は、そんな旦那をとても高く評価しています。
嘘をつかないことが彼への信頼にも繋がっていますし
いつでも自分に正直でいられる彼をすごく尊敬もしています。
「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ、、、」
、、、じゃありませんが。
いつも自分のやりたいように、正直に生きることは
言葉で言うのは簡単ですが、実際行動に移すのはとても難しい事です。
正直者は、悪く言えば「お世辞の言えない人」
そんな旦那も、よく言えば正直者ですが
悪く言えばお世辞の言えない人、ということになるでしょう。
外国人に対して「うまくお世辞を言え!」というのも無理な話かもしれませんが、、、。
とにかく旦那は、自分の気持ちに嘘をつきません。
例えば:友人宅に招待された時
例えば、友人の家に招待された時。
作ってくれた食事がしょっぱかろうが不味かろうが
私は絶対に「おいしかった。作ってくれてありがとう」と言います。
それがたとえ嘘だとしても、それが礼儀だと思うから。
ところが、正直者な旦那は違う。
さすがに面と向かって「不味い」とは言いませんが、「しょっぱいね」とか普通に言います。
そして美味しいと思わなければ、決して「おいしい」とは言いません。
「ホンネとタテマエ」なんて、あったもんじゃないですね。
旦那には「ホンネ」しかありません。
私に対しても、とても正直(悪い意味で)
私は料理が苦手です。
苦手だから嫌いという最悪のパターンなんですが
それでも旦那に喜んでほしくて日本食をよく作ります。
旦那は、おいしかったら「おいしい」と言いますが
不味かったら面と向かって「不味い」と言います。
最悪、食べてもらえないことも。
こんなことがあった
去年のことですが
母が、日本で一時期流行っていたという缶詰に入ったタイ・チキンカレーを送ってくれました。
これ、便利ですよね。
温めるだけで食べられるし、何より味も本格的。
お総菜や出来合いのものがなかなか手に入らないドイツ。
忙しい日や、料理したくない日なんかにとても重宝します。
私たちはタイカレーが大好きなので旦那にも食べさせてみようと、その日の夕食は缶詰入りのタイ・チキンカレーにしました。
食べる前に「これ、どうやって作ったの?」と旦那に聞かれたので
『日本から送られてきたんだよ~』と、タイカレーが入っていた缶を見せました。
そうしたら、普通に食べてもらえませんでした。
「缶詰に入った肉なんか食べたくない」と言われ
「そんなものを食べるなんてどうかしている」と言われました。
旦那はヒッピーな考えを持っているので、食べ物の加工品やなんかにはとてもうるさい。
私が手抜きして缶詰料理を出したのも悪かったですが
そのチキンカレー缶を食べてみるのを楽しみにしていた私にとっては
新しいものを一緒に体験して感想を言い合うとかそんなことより前に、食べてもらえなかったことがショックでした。
何よりも
タイ・チキンカレー缶をわざわざ日本から送ってくれた母の気持ちを、踏みにじられた気がして、、、。
その後くやしくて泣きました。
同じようなこと何回かあった
缶詰以外にも、同じような経験が何回かあります。
例えば、日本のカレー。
旦那は、日本のルウから作るカレーも食べません。
理由は「化学調味料の味がするから。」
日本のカレーを作って食べてもらえなかった時も
「こんなにおいしいのに、なぜ、、、。」という困惑した気持ちと
「これから一生家では日本のカレーが食べられないのか、、、。」という落胆の気持ちでいっぱいになりました。
それでも、自分の意見を貫く旦那が悪いわけではないと思う
それでも、落ち着いて考えると
旦那の行動は、彼の「正直に生きる」という生き方に一貫しています。
嘘は、ついてない。
例えば、タイカレー缶を出した時。
旦那が嘘をついて「おいしい」と言って食べてくれていたらどうなっていたか。
まあ、私は嬉しかったと思います。
タイカレー缶を日本から送ってくれた母も喜んだに違いありません。
そしてまた母は日本からタイカレー缶を送り、私は夕食に缶詰入りのタイカレーを作っていたと思います。
旦那が喜んでくれるから。
でもそれって、旦那にとってみれば地獄ですよね。
本当は嫌いだと思っているものをずっと食べ続けなければいけなくなるんだから。
正直でいることは大事だけど、思いやりを忘れないでほしい
つまり、言い方かな、と。
自分の考えから何かを食べない・やらないという選択をするのは尊重されるべきだと思うし
自分の気持ちを正直に発言することが出来るのには心底憧れます。
ただなにか一言、相手を思いやる言葉やねぎらいの言葉があれば
周囲の人(というか私)の気持ちも違ったのかな、と。
不味いものは不味いし、不味いものをおいしいと言ってしまってはその人の料理の腕は上がらないですしね。
でも、「不味い」とか「ありえない」と怒るのではなく
「作ってくれてありがとう。でも加工品はあんまり好きじゃないから、今度スパイスから作るやり方教えるね!」(←旦那は料理得意)
とか優しく言ってくれれば、嘘もついていないし、私のダメージも最小限に抑えられるんじゃないかと。
最後に:正直に生きることと、人に優しくすること
ドイツ人は自己主張が激しいです。
全員がそうだとは言いませんが、自分が1番正しいと思っている人は本当に多い。
だから謝らない人も多いし、嫌なものは「嫌だ」とはっきり口にします。
その点、日本人。
もちろん全員がそうだとは思いませんが、嫌なものを嫌と言わない人が多いです。
私自身も、自分の意見をはっきりと言って人を傷つけたり、変な雰囲気になるよりは
曖昧な態度を取ったり、思ってもない事に対して「イエス」と言うことが多いです。
自分の意見よりは、人の意見を優先してしまう。
それは、個人より集団を大切にする日本の、美しい文化だと思います。
思いやりの文化だと。
でも嫌なことに「イヤ」と素直に言えないことや、自分より人の意見を優先してしまうのは
自分に嘘をついているということになりますよね。
嘘をつかない事=正直に生きることは
人間らしく生きる上でとても大切なことだと思います。
最近では過労死などの問題もありますが
自分の本当の状態を隠し嘘をつき続けた結果、自分を追いこみすぎてしまうことは絶対に避けるべきです。
ただし
嘘をつかず正直に生きることで、人を傷つけるのはまた違うんじゃないかと。
なにも、嘘を塗り固めてお世辞を言うことだけが親切だというわけではないはずです。
正直に自分の気持ちを表しながらでも、人に優しくできるはずだと。
旦那のこともそうですし、ネット社会での意見のやりとりを見ていてもそれはそうだなと思います。
ブクマのネガコメとかもね、本当に。
つまりは言い方。
言い方ってね、あると思うんですよ。
自分の意見を言う前にクッション言葉を入れるとか
丁寧な言葉遣いをするとか。
、、、とにかく
自由に正直に生きるのは素晴らしいけれど、それで思いやりが損なわれるのは違う
という話でした。
(というか、グチでした。)
ちなみに
最近は、タイカレー缶や日本のカレーを食べるときは
旦那がいない時に1人でこっそり楽しむようにしています。
旦那が見たら不快に思うだろうから
(というか絶対「食べるな!」と言われるしうるさいから)
旦那の前ではタイカレー缶もやきとり缶も食べませんが
それでも私が食べたいと思う正直な気持ちを抑える必要はないので。
妥協案です。
幸い、旦那は仕事で留守にすることが多いので今のところはうまくいっています。
(おいしいものを1人占めにできるので逆にラッキー!と、今では考えていますw)
おわり!