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【ホーチミン市】ベトナム戦争に関する「戦争証跡博物館」についてと、訪ねてみて思ったこと

ベトナム・ホーチミン市にある「戦争証跡(しょうせき)博物館」(War Remnants Museum)に行ってきました。

この博物館は、ベトナム戦争に関する博物館です。
 
今回の記事では
ベトナム戦争に関する「戦争証跡博物館」についてと、訪ねてみて思ったこと を書いていきます。
 
 

ベトナム戦争の簡単な概要

ベトナム戦争は、1955年〜1975年の20年という長きに渡り、南ベトナムと北ベトナムに分かれて戦われた戦争です。
 
表向きはベトナムという国の南北統一戦争でしたが
南ベトナムを援助するアメリカ(資本主義)と、北ベトナムを援助するソ連(共産主義)との間に生じていた冷戦による代理戦争でもありました。
 
ベトナム戦争は
  • テレビが普及してから初めて行われた戦争
  • アメリカが初めて負けた戦争
としても有名です。
 
兵力から言って、当初は南ベトナム軍(アメリカ)優勢と見られていましたが
北ベトナム軍(ベトコン)は、ジャングルを使った森林戦を展開。
森林戦に慣れないアメリカ軍を追い詰めていきました。
 
ベトコンが使えるジャングルをなくしたり食料の供給を断つ目的で、アメリカ軍は枯葉剤を使って攻撃しますが
自国内や世界中からの反発もあり、結局アメリカはベトナムから撤退。
 
1975年4月30日、北ベトナムが南ベトナムの首都サイゴンを接収(解放)。
ベトナムは無事南北統一を果たし、20年の長きに渡り続いた戦争は終結したのでした。
 

入場料

2018年2月、私達が行った時の戦争証跡博物館の入場料は大人1人40.000ドン(約190円)でした。
 
受付で入場料を払うと、チケットと共にステッカーをもらいます。

このステッカーは博物館にいる間、服や鞄の目立つ所に貼っておきます。
 

展示内容

すべてを見た訳ではないので一部ですが、博物館の展示内容を紹介します。
 

戦闘機・戦車の展示

お金を払って受付を通ると、すぐそこには戦闘機や戦車が並べられています。

迫力満点の戦闘機。
 

こちらは戦車。
 

戦車や戦闘機には、それぞれに説明が付いていました。
 

各国からの支援について

ベトナム戦争は、テレビが普及しテレビカメラが初めて戦地に入った戦争として有名です。
それ故、ベトナム戦争時の悲惨な状況はテレビを通じて世界各地に放映されました。
 
博物館の1Fは期間限定の展示の他に、ベトナム戦争に対するデモや各国からの支援についての展示がありました。

ニューヨークでの反戦デモの様子。
 
ベトナムを攻撃していたアメリカでも、ベトナム戦争反対のデモがありました。
 

1967年10月21日、ワシントンにて。
 
いわゆるヒッピーが、ベトナム戦争反対のデモに参加しています。
 

私が住んでいたドイツ・ハンブルクでのデモの様子を写した写真もありました。
 

こちらは北朝鮮・平壌でのベトナム支援集会の様子。
 
日本からは、主に共産党「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」に関する資料が展示されていました。

べ平連の活動に関する資料。
 
様々な国からの写真や資料がありましたが
に社会主義国や共産主義政党からの支援が多かったようです。
 
こちらの展示で特に印象的だったのが
ベトナム戦争に反対するために、焼身自殺をしたアメリカ人が何人もいたということ。
 
ベトナム国内でも、ベトナム人による焼身自殺を使った抗議があったようですが*1
敵国であるアメリカで、自ら命を絶ってまで抗議を行った人がいることに驚きました。
 

展示室

2Fと3Fが、ベトナム戦争に関する主な展示となります。
 
展示では、戦争の流れや被害を数字付きで伝えると共に 
戦争中や戦後の実際の写真も数多く展示されていました。
 
写真は、老若男女問わずアメリカ兵に殺された人の写真にその時の状況を説明したプラカードの付いたものが多かったです。
首を切られたベトナム兵の写真などもありました。
 
個人的には、アメリカ兵に殺害される直前に撮影されたベトナム市民の悲痛な表情の写真を見て泣いてしまいました。
 
展示されている写真は非常に衝撃的でショッキングな写真が多く、とても写真を撮る気にはなれませんでした。
直視するのさえ辛い写真ばかりですが、 ぜひ現地に足を運んで見てほしいです。
 
戦争とは何なのか。非常に考えさせられる写真ばかりです。
 
以下では、ベトナム戦争での実際の被害についての展示の一部を紹介します。

ベトナム戦争中:
  • 300万人のベトナム人が殺され(そのうち200万人は一般市民であった)
  • 200万人が負傷し
  • 30万人が行方不明となった。

戦後、ベトナムには:
  • 60万トンの爆弾が残され
  • 660万ヘクタールもの土地が爆弾や爆薬によって汚染され
  • 9,284もの街が爆弾や爆薬によって破壊された。
また、戦争が終わった1975年〜2002年の間に:
  • 42,135名が残された爆弾や爆発物により死亡し
  • 62,143名が負傷した。

20年にも渡るベトナム戦争の間、300万人のベトナム人が命を落としました。

 
戦争が始まったとされる1955年のベトナムの人口が約2800万人*2なので、300万人という数字は当時の人口の約9分の1に当たります。
(ちなみに、2016年時点での人口は約9270万人です。)
 
アメリカ軍は、ベトコン(北ベトナム軍)と民間人の見分けがつかないという理由から人々を無差別に攻撃し
戦争中に死亡した300万人の約3分の2(200万人)は民間人という実に痛ましい結果となりました。
 
また戦後も、戦争中に残された爆弾などで約4万人もの人が命を落としました。
 

枯葉剤による被害

他にも2Fと3Fには、枯葉剤による被害が写真と共に紹介されていました。
 
こちらも写真はショッキングだったので撮りませんでしたが
以下に枯葉剤による被害の展示の一部を紹介します。

(アメリカの)ベトナムに対する侵略戦争の間、アメリカは凶器を用い多くの死傷者を出したのみならず
革命政府軍の発展を阻止するために有害化学物質を使用し、ベトナム人の生活を破壊した。
 
1961年から1971年の間、アメリカ軍は19,905もの作戦を指揮し、約8000万リットルもの有害化学物質を散布した。
 
この有害化学物質の61%はAgent Orangeと呼ばれる種類の枯葉剤で、366kgものダイオキシンを含んでいた。
 
このような枯葉剤は2万6千の村を含む3億600万人ヘクタールの土地に散布されたーーこれは南ベトナムの約4分の1にも及ぶ広さであった。
 
86%の地域は2度、11%の地域には10回以上も枯葉剤が撒かれた。

480万人のベトナム人がAgent Orangeに晒され、その中の300万人以上がその被害者となった。
 
各国による研究によると、Agent Orange/ダイオキシンは
  • 皮膚ガンや糖尿病、皮膚や肝臓、甲状腺などを含む人間の身体全域に複雑で多様な損傷
  • 呼吸器系、循環器系、消化器系、内分泌系、神経系機関の損傷
  • 遺伝子と染色体の突然変異を誘発、先天性障害や生殖機能の合併症
を引き起こす可能性があることが明らかとなっている。
 
また、枯葉剤被害者の子供や孫世代には
  • 全身、または部分麻痺
  • 視力障害
  • 知能障害
  • 聴覚障害
  • 精神遅滞
  • 精神病
  • ガン
  • 奇形
  • 先天性障害
などが、一般的な病気となっている。
 
特にAgent Orangeは世代を超えて伝わる可能性があり、ベトナムでは既に4世代に渡り受け継がれることが確認されている。
 
未完の統計によると、ベトナムには現在:
  • 15万人以上の枯葉剤被害者2世
  • 3万5千人の枯葉剤被害者3世
  • 2千人の枯葉剤被害者4世
がいる。

1961年から1971年の10年間、アメリカ軍はベトナムに約8000万リットルという壮絶な量の枯葉剤を散布しました。

 
アメリカ軍がベトナムに枯葉剤を撒いた理由は「ベトコンが戦闘に利用するジャングルをなくすため」でしたが
枯葉剤散布により、ベトナムは多くの美しい森、食料、綺麗な飲料水を失いました。
 
また、枯葉剤は豊かな緑や生活環境だけでなく私たち人間にも直接的な被害を及ぼしました。
 
日本では、下半身が繋がった双子のベトちゃん・ドクちゃんが有名ですが
戦争証跡博物館には、枯葉剤の影響で奇形に生まれてしまった多くの人の写真が展示されていました。
 
ショックだったのが
その写真のほとんどが私より若い1990年代に生まれた子ども達の写真だったこと。
 
実際にAgent Orangeに晒された世代のみならず、その子ども、孫、ひ孫までもが、アメリカ軍が戦争中に撒いた枯葉剤の被害に今でも苦しんでいるのです。
 
枯葉剤被害についての展示ブースの最後には、実際に枯葉剤のせいで障害をもって生まれた人達もいました。
 
生まれつき目のない人がピアノを弾く。
大人なのに体が子どものように小さい人、足に奇形があり立って歩くことの出来ない人が、自分で作った手芸品を売っている。
 
見学客の中には、泣いている人も少なからずいました。
 

その他

途中で胸がいっぱいになってしまい、最後まで見ることが出来なかったのですが
展示は他にも戦場カメラマンについての展示(3F)や、コンダオ島に作られた収容所の再現(1F)などがありました。
 

思ったこと

展示は目を背けたくなる残酷で悲惨な写真や内容が多いのですが
これが本当に人間によって起こされたことかと思うと恐ろしく、2度とこのような悲劇が世界に起こらないことを願わずにはいられません。
 
ただ、本当に悲しいのが
これらの悲劇が、未だにアメリカによって繰り返されているということ。
 
第二次世界大戦後、アメリカは朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争など20を超える戦争や紛争に介入し続けています。
 
その度に人が死に、傷つけられ、残された人々に大きなショックを与えています。
 
なぜ、このようなことが繰り返されるのか。
 
戦争の専門家ではない私には、アメリカがなぜ戦地に軍隊を送り続けるのか分かりませんが
はっきりと言えるのは、罪のない人々がアメリカ軍の犠牲になる世の中はもう終わるべきだということ。
 
アメリカ軍が戦争に介入することにより、一体誰が得をすると言うのか。
 
アメリカは、枯葉剤により4世代に渡ってベトナム人を傷つけているにも関わらず、まだベトナムに対し公式に謝罪すら行っていないのです。
(もちろん、原爆を落とした日本にも。)
 
ベトナム戦争に関する戦争証跡博物館では主にアメリカを名指しで非難していましたが、もちろんアメリカだけが悪いというわけではありません。
 
先進国として世界を引っ張っていく立場である日本も「戦争はダメだ」という心を捨ててはいけないと、ありふれた考えではありますが、展示を見終わった後には再び強く思わずにはいられませんでした。
 

まとめ

今回の記事では
 
ベトナム・ホーチミン市にある「戦争証跡博物館」と、それを見て思ったこと について書きました。
 
いやぁー、、、本当にショッキングな展示でした。
 
「ベトナム戦争」という名前や、枯葉剤が人々にどんな影響を与えたかなど、大まかなことは知っていましたが
実際に詳細に触れると、思わず涙を流さずにはいられませんでした。
 
また、今回訪ねた戦争証跡博物館で気になったのが
アメリカを名指しで批判する展示が多かった点。
 
例えば広島の原爆資料館では、原爆を落としたアメリカ軍の非道さというよりは「原爆が与えた被害」にフォーカスが当たっていますが
戦争証跡博物館では、思いっきり「アメリカ軍の非道さ」という点について説明がされていました。
 
これはベトナムが社会主義国だからなのか、よく分かりませんが、、、。 
アメリカ人としてこの博物館を訪ねるのは、相当辛いことだろうなぁと感じました。
 
ただ、驚いたのは
現代のベトナム人は、アメリカ人に憎しみを抱いているようには見えなかったという所。
(もちろん、人によるとは思いますが、、、。)
 
ベトナム戦争が終わってから40年以上が経ち、戦争を知らない世代が過半数を超えたということもありますが
その他にも、ベトナム人は前を向いて、未来に向かって歩いていこうとしているのではないかと感じました。
 
ベトナムで英語教師として働いているアメリカ人に2人ほど会いましたが
どちらも「ベトナムはアメリカ人にとっても働きやすい良い国だ」と言っていました。
 
、、、とにかく。
ホーチミン市にある戦争証跡博物館は、「戦争とは何か」「世界はこの悲劇を再び起こさないためにどうするべきか」という問いを再び多くの人に与えるきっかけとなるような場所でした。
 
ホーチミン市に行った際は、是非足を運んでみてください。
 
おわり!

*1:ただし、これは仏教徒に対する南ベトナム政府の高圧的な政策への抗議だったようです。

*2:参照:https://www.populationpyramid.net/ja/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0/1955/