去年の年末、ドイツ人旦那の実家でクリスマスを祝っている時に旦那のおばあちゃんが亡くなりました。
「人の死」というのは非常に敏感な問題ではありますが
おばあちゃんの亡くなり方がある意味理想的だと感じた ので、備忘録として書き留めていきます。
- ドイツのクリスマスは長い
- 23・24日:家族で素敵なクリスマスを過ごした
- 25日:ベッドから起き上がれなくなる
- 25日夜:神父さんにお祈りに来てもらう
- 25日深夜:急変
- 26日朝:臨終
- おばあちゃんの最期は、とても理想的だと思った
- おばあちゃんは亡くなる日を予め決めていたとしか思えない
- 最後に:人が死ぬことについて
ドイツのクリスマスは長い
キリスト教国であるドイツのクリスマスは、1年で1番重要な祝祭日です。
有名なドイツのクリスマスマーケットはクリスマスの1ヶ月前から始まるし
シュトレンやアドベントカレンダーなどのクリスマス用品は、9月には既に店頭に並びはじめる程。
クリスマスの実際の祝日は12月25日と26日だけですが
多くの人が長めのお休みを取り、クリスマスを家族と楽しみます。
私と旦那は、23日の日曜日にはクリスマスが行われる旦那の実家に向かいました。
23・24日:家族で素敵なクリスマスを過ごした
23日(日)
23日の昼過ぎに義実家に着き、みんなでお茶をして夜ご飯を食べました。
23日のティータイム。
23日のディナー。
この日は「Kaltes Essen(=冷たい食事)」と呼ばれる、火を使わないドイツの典型的な夕食でした。
「冷たい食事」とは言うものの、クリスマスなのでかなり豪華。
24日(月)聖なる夜
次の日、12月24日。
この日は祝日ではないのですが、「Heilige Nacht(聖なる夜)」と呼ばれるクリスマスの中でも特別な日です。
24日の夕方には、多くの人がクリスマスミサのために教会に行きます。
義実家に飾られたクリスマスツリー。
本物の木を使っています。
ツリーの下にプレゼントを置き、後ほどみんなで交換会を行います。
24日のティータイム。
この後、教会に行く人(義両親と義叔母)は午後5時半からのミサに行き
教会に行かない人は家に残って、ディナーの準備をしたりおしゃべりしたりしてました。
24日のディナー。
この日の夕食は
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ガチョウのロースト
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クヌーデル(じゃがいも餅、写真右上)
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グリューンコール(チリメンキャベツの煮物、写真上中央)
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ロートコール(紫キャベツの煮物、写真左上)
というドイツのクリスマスらしいメニューでした。
結局、この食事がおばあちゃんの最期の食事となってしまったのですが、、、
この時はそうは思えないほど、モリモリとごはんを食べていたのが印象的でした。
大好きなクヌーデルはソースをかけて3つも食べてたし、結構ヘビーなガチョウ肉も少しだけ食べてました。
食事の後は、プレゼントの交換。
娘の助けを借りて、私と旦那からのクリスマスプレゼントを開けるおばあちゃん。
この時にあげたチョコレートは、結局食べてはもらえませんでしたが、、、。
それでもとても喜んでくれて、私と旦那にハグとキスをしてくれました。
おばあちゃんはずいぶん前から家に居ても大音量のヘッドホンを付けてテレビの前に座っていることがほとんどでした。
家族が集まる時でも途中で疲れて退席することが多いんですが
でもこの日はずいぶん長く、夜遅くまでみんなと一緒に座っていました。
耳が悪いので、ほとんど話さずそこに座っているだけではありましたが、、、
それでも、今考えてみると家族との最後の時間をおばあちゃんなりに楽しもうとしていたのかな。
25日:ベッドから起き上がれなくなる
家族で楽しいクリスマスイブを過ごした翌日、12月25日。
朝、旦那のいとこがおばあちゃんの様子を見に行くと
「最期が近づいているかもしれない」というようなことを口にしたきり、喋る事もベッドから起き上がることも出来なくなりました。
おばあちゃんはこの日1日、ベッドの中で寝たり起きたりを繰り返していました。
起きている時は目は開けているものの、その目は虚ろでその顔から表情を読み取ることはできませんでした。
そして1日中、布団の上に置いた左手をせわしなく右へ左へと動かしていました。
誰かの手を握ろうとしているようにも見えましたが、家族が手を握ってもその動きが止まることはありませんでした。
ネットで調べてみると、手をせわしなく動かすその動きは死のプロセスを辿っている時に現れる現象の1つのようでした。
この日おばあちゃんは食事は全く取らず、水は飲み口の付いた水筒で唇を少し湿らす程度でした。
(クリスマスだったので、夜には少しだけビールも飲ませていました。)
この日は1日中、家族の誰かしらがおばあちゃんの枕元に付き添い、手を握ったり話しかけたりしていました。
25日夜:神父さんにお祈りに来てもらう
夜になると、少しの間おばあちゃんの目に光が戻ったと感じる瞬間がありました。
この時に、おばあちゃんが以前から死に際に希望していたお祈りをしてもらうために神父さんに来てもらいました。
(クリスマスの夜にも関わらず、何の見返りもなしに駆けつけてくださった神父さんに感謝、、、!)
神父さんはおばあちゃんの枕元でお祈りをし、その後みんなで聖歌を2曲歌いました。
神父さんが帰った後もおばあちゃんが起きていたので、旦那のギターに合わせてみんなで数曲歌を歌いました。
25日深夜:急変
この日の夜は、旦那の叔母さんがおばあちゃんの部屋に泊まって様子を見ることになりました。
おばあちゃんにおやすみを言い、家族全員が自室に引き上げて行きました。
ベッドの中でうつらうつらしかけていた、夜中の12時過ぎ。
1階にいるおばさんが「早く来て!」と叫びました。
急いで行ってみると
おばあちゃんの体は痙攣し、息も上手く出来ないようで酸素を求めて激しく喘いでいました。
娘である叔母さんがおばあちゃんの手を握り「もう戦わなくていいから、楽になって」と耳元で囁き続けていたのが印象的でした。
その場にいた全員が、これがおばあちゃんの最期だと思いました。
、、、が、しかし
おばあちゃんの苦しそうな状況は、その後20分以上経っても変わりませんでした。
「こんなに苦しんでいるおばあちゃんは見ていられない」と、叔母さんが知り合いの医者に電話をしました。
しばらくすると、クリスマスの真夜中にも関わらず女性のお医者さんが家まで駆けつけてくれました。
お医者さんがモルヒネの注射を2本打つと、おばあちゃんの痙攣が止まり、呼吸は深く静かなものに変わりました。
途中でイビキのような音も聞こえたりして、その様子は本当にただスヤスヤと眠っているだけのようでした。
その後、家族全員がリビングに移動して感情の昂りを抑えるために少し飲み物を飲み、再びそれぞれの自室に引き上げていきました。
26日朝:臨終
朝7時頃に様子を見に行った旦那の話によると
おばあちゃんは昨晩と同じくただ眠っているだけのように見えたそうです。
ただ呼吸は昨晩より深くなっており、15秒くらい息をしていないこともあったとか。
その後
朝8時45分頃に、おばあちゃんは息を引き取りました。
旦那のいとこが、まだ寝ていた私と旦那にそのことを知らせてくれました。
おばあちゃんの最期は、とても理想的だと思った
おばあちゃんが亡くなってしまったのはとても悲しいことですが
それでもおばあちゃんの最期は、彼女にとっても家族にとっても(こう言っては失礼かもしれませんが)とても素晴らしいものだったと感じました。
亡くなる直前に家族での素敵な思い出ができた
最初にも書いた通り、クリスマスというのはドイツ人にとって1年で1番大切な日です。
亡くなる直前に、その特別な日を家族と一緒に過ごして素敵な思い出を作れたのは、本当に素晴らしいことだと感じました。
家族のほぼ全員に看取られた
亡くなったのがクリスマス期間中ということもあり、おばあちゃんは家族のほぼ全員に見守られながら最期を迎えました。
おばあちゃんには3人の子供がいますが
そのうちの2人とその配偶者や孫たち計6人が、最後の最後までおばあちゃんに付き添いました。
その他の家族(もう1人の子供とおばあちゃんの弟)も、亡くなる前日や3日前に一緒に最後の時間を過ごすことが出来ています。
臨終に間に合わなかったのは、家族の中でもたった1人(旦那の妹)だけ。
普段はドイツ各地で離れて暮らしている家族なので
家族のほぼ全員がおばあちゃんと最期の時を過ごすことが出来たのは、奇跡に近いと言えます。
命日が母と同じ
おばあちゃんが亡くなった12月26日というのは
旦那の曾祖母、つまりおばあちゃんのお母さん命日でもあるそうです。
自分の母と同じ日に亡くなるなんて、なかなか起こることではないですよね、、、。
最後の最後まで寝たきりにならなかった
おばあちゃんは、最後の最後まで寝たきりにはなりませんでした。
ここ数年で買い物や家事など、出来ないことは徐々に増えてはいましたが
それでもトイレやシャワーなどの最低限のことは、亡くなる1日前を除いては自力で行うことが出来ていました。
寝たきりになってしまうと本人にとっても家族にとっても辛いことが増えますが
それが亡くなる前日まで起こらなかったのは、全員にとって幸いなことだったと思います。
最期の言葉が「ありがとう」だった
おばあちゃんが亡くなる前夜、痙攣し喘ぎながらも懸命に家族に何かを伝えようとしていたのですが
唯一聞き取れたのが「Danke(ありがとう)」という単語でした。
おばあちゃんは普段はあまり感謝の言葉などを口にしない(家族に対しても結構キツいことを言う)人だったのですが
最後の最後にこの言葉を聞くことが出来て、熱心に介護してきた家族もさぞ救われたことだろうと思います。
おばあちゃんは亡くなる日を予め決めていたとしか思えない
亡くなる時に家族がほぼ全員揃っていたこと。
命日が母と同じ日だという偶然。
とにかく様々なことにおいてタイミングが良すぎたので
おばあちゃんはあらかじめこの日に逝くことを決めていた としか思えません。
、、、そんなことを家族で話していると
旦那のいとこが、おばあちゃんとのこんなやり取りを思い出しました。
旦那のいとこが数日前、おばあちゃんに「クリスマスのお願い、何かある?」と聞いたところ
「あなた達ともう少し長く一緒に居たい」と言ったそうです。
先ほども書いた通り、おばあちゃんは普段そういうことを口に出すような性格ではなかったのですが
もしかしたらおばあちゃんは、自分の死期が近いことを察していた のではないかと思います。
、、、実際にそんなことが可能かどうかは分かりませんが
おばあちゃんはとても強い女性だったので、そんなことが出来たのかもしれません。
最後に:人が死ぬことについて
今回の記事では
94歳で亡くなった旦那のおばあちゃんの最期 について書きました。
おばあちゃんは94歳ととても長生きでしたが、その人生は波乱に満ちたものでした。
家族最後の戦争経験者として、決して幸せとは言えないようなこともあったようです。
ただおばあちゃんの最期は彼女にとっても家族にとってもベストなものであった と感じました。
(亡くなる前の晩の痙攣だけは、とても辛かったですが。)
私にとっては
親しい人の死をここまで間近に見るのは、生まれて初めての体験でした。
一昨日には一緒に食卓を囲んでごはんを食べていたおばあちゃん。
食事後、テーブルについたシミを台拭きで拭いていた旦那が、そのままおばあちゃんの顔のシミも拭き取ろうとする、、、
というくだらないギャグに、嫌がりながらも笑っていたおばあちゃん。
一昨日にはそこにあったものが、今日にはもうないという不思議。
亡くなった直後のおばあちゃんはまだ温かくて柔らかかったのに、その体は徐々に固く冷たくなっていきました。
その身体には、その身体の中には、会うたびに私を優しくハグしてキスしてくれたおばあちゃんはもういない。
「死」という状態がどういうものなのか、頭の中では分かっているつもりでしたが
実際に死を目の当たりにすると、生きていることと死んでいることの落差が大きすぎてとても混乱しました。
おばあちゃんは、一体どこへいったのか?
死後の世界なんて全く信じていませんでしたが
突然そこからいなくなってしまったおばあちゃんについて、何かしらの説明が必要だと感じました。
そしてきっとその説明を求めて、人は宗教に縋るのかな、と少しだけ思いました。
おばあちゃんのお葬式は、亡くなってから3日後に執り行われたのですが
葬式後、旦那の母(義母)が「おばあちゃんの亡くなり方を見ていたら、死ぬことが怖くなくなった」 と言っていました。
私も、今では義母と同じように感じます。
おわり!