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ドイツ人ストリートミュージシャンと結婚しました。

バスカーでヒッピーな旦那のライフスタイルについて行けるのか!?ぐうたらインドア女子の奮闘記&備忘録

五感に貼り付いた記憶を辿ってみる

聴覚

嗅覚

視覚

味覚

触覚

 

五感と言われるこれらのものには

その時々の記憶が宿りやすいものだと考えます。

 

五感に染み付いた記憶を辿ってみる

特定の音や音楽

あるものの匂い

見たとのある色

食べたことのある懐かしい味

今でも思い出すことのできる、何かを触った時の感覚。

 

そういった事を思い出してみると

よみがえる記憶というのが、誰にでもあのではないかと思います。

 

ゴーイングステディの「銀河鉄道の夜」

中学生の頃

ゴーイングステディというバンドが、私の中で大きな存在を占めていたことがあります。

 

なぜゴーイングステディを好きになったのか。

今ではもう思い出せませんが

 

彼らのアルバム「さくらの歌」

当時、サンタクロースがプレゼントしてくれたCDMDプレイヤー

一番よく聴いたCDでした。

 

子どものころ、両親があまり家にいなかった

私の両親は

同じ年代の友達の親に比べると、すごく若い部類に入ります。

 

両親はどちらも千葉の田舎の出身で

父と母が24歳の時に、長女である私が産まれました。

 

翌年には、年子の弟が産まれました。

 

父はワーカホリックな人で

私がまだ幼かった頃は、あまり家にいませんでした。

 

幼い子を2人も抱えた若い母は

子育てに関しての父の助けもあまりなく

さぞかし大変な思いをしたことだと思います。

 

私と弟が小学生にあがってしばらく経った頃

母は、私たち姉弟を家に置いて働きに出るようになりました。

 

たぶん

結婚や、子どものために失った自分の青春を取り戻すため

母は再び社会に出て働くことを決めたのだと思います。

 

大人になった今では、そんな母の心境も理解できますが

まだ子どもだった当時の私には

母も父も居ない家の状況が、あまり理解できていなかったように思います。

 

私と弟は

母が働きに出てからは鍵っ子になりました。

 

夜ご飯を食べるのも、いつも弟と2人きりでした。

 

夕食は、忙しい母が作り置いてくれることもありましたが

大体は冷凍食品でした。

 

当時からWOWOWに加入していた我が家では

夜はいつでも「カートゥーンネットワーク」という

アニメだけを流すテレビ番組がかかっていたように思います。

 

原子家族フリントストーン

宇宙家族ジェットソン

デクスターズラボ

カウ&チキン

スクービードュー

チキチキマシン猛レース

パワーパフガールズ

ピンク・パンサー

ウッディーウッドペッカー

 

、、、こんなようなアニメが、当時の私と弟の間にはいつも流れていました。

ずーっとアニメを見ていても、止める大人はいなかったので。

 

また、エンジニアの父の影響で

家には当時はまだあまり一般家庭には浸透していなかったパソコンがあり

弟と一緒にパソコンのゲームで遊んだり

ネットにも接続できる環境にもありました。

 

そんな中で

弟と2人きりで過ごす夜。

 

アニメを観ても、ゲームをしても

私は、すごく寂しかった。

 

なぜ、お母さんは家に居ないのか。

 

当時、母も父も仕事が忙しかったらしく

帰ってくるのは大体夜の11時を過ぎてからでした。

 

夜の9時にはベットに入っているような子どもだった私にとって

夜の11時というのは、あまりにも遅すぎました。

 

寂しい

母は、私のことが嫌いになったから家に帰ってこないのだろうか。

母は、仕事が楽しくて帰ってこないのだろうか。

母は、仕事をするのに、私たちのことが邪魔なのだろうか。

私は、母にとっていらない存在なのだろうか。

私は、なぜ生まれてきたのだろうか。

私なんか、生まれてこない方が母は自由で幸せな人生を送れたのではないだろうか。

 

そんなことを、毎日考えていました。

 

今考えると、ものすごくネガティブな子どもですね(汗)

 

もちろん、母が悪いわけではありません。

 

24歳で子ども産み

ほぼほぼ1人で私と弟を育ててくれた母。

 

私が10歳の時、母はまだ34歳でした。

 

仕事がしたい。

社会に参加したい。

 

そう思うのも無理がない年齢だと、今では十分に理解しています。

 

母は母なりに

仕事と私たちの間に挟まれて、気を揉んでいたことでしょう。

 

私と母、そして弟と母はそれぞれ

交換日記をしていたこともあります。

 

これは

母の仕事が忙しく

あまり子どもに構ってあげられない母の苦肉の策であったのだと思います。

 

母が交換日記の返事をかいてくれた時はすごく嬉しかったのですが

やはり、母が私たちを家に置き去りにしていることがすごく寂しかったのだと思います。

 

私は、母が大好きだ

今でもその気持ちは全く変わりませんが

当時も、私は母のことが大好きでした。

 

というか、たぶん

自分という存在を

少しばかり母に依存しすぎていた所もあると思います。

 

お母さんが大好き。

だから、お母さんにも私を好きでいてほしい。

お母さんが私のことを好きじゃなければ、お母さんから生まれてきた私の生きる価値はない。

 

そんなことを考えていました。

 

母は、今も昔もずっと変わらず私の事を大切に思ってくれていますが

当時は、母が家に居ないことが多く

母からの愛情がよく分からなかったのだと思います。

 

母の足音を待つ夜

実家であるマンションの

私の部屋にある窓は

マンションの廊下に面していました。

 

実家であるマンションの部屋は

廊下の一番端に近いところにあって

誰かがマンションの廊下を歩いている音は、私の部屋からはよく聞こえました。

 

特に、母の足音は。

 

耳を澄ますと

他の誰でもない、母が家に帰ってくる足音というのが分かるんですよね。

 

もちろん、父の足音も分かるんですが

私は自分の存在をかなり母に依存していたので

 

寂しくて耐えられない夜は

その母の足音を求めて

 

いつまでも眠らずに、開け放たれた窓際に座って

母の足音がマンションの廊下に鳴り響くのを

夜遅くまで寝ずに待っていることもありました。

 

その時に聴いていたのが

当時大好きだったゴーイングステディの「銀河鉄道の夜」でした。

 

もちろん

母の足音がちゃんと聞こえるように

CDプレイヤーの音は、絞って聴いていましたが。

 

曲を聴くと、当時の悲しい気持ちを思い出す

私の人生は、年々楽しくなっています。

 

だから私は、一度たりとも「過去に戻りたい」と思ったことがありません。

 

思ったことはありませんが

ゴーイングステディの「銀河鉄道の夜」を聴くと

今でも当時の悲しかった気持ちが鮮明によみがえってきます。

 

自分が、この世で一番不幸だと思っていたあの頃に。

 

母に愛されないのなら、このまま消えてなくなってしまいたいと思っていた、あの頃に。

 

まとめ

今日の夜、友人と

「五感に貼り付いた記憶」について話したことがきっかけで

現在深夜の3時ですが、こんな記事を書いています。

 

ビール、赤ワイン、ラム酒を飲んで

少しだけ酔っぱらってもいますが。

 

とにかく

私にとっては

「音楽」が記憶と結びつくことが多いように感じます。

 

大人になった今では

なぜ当時の自分がそこまでセンチメンタルだったのかは分かりません。

そういう年頃だったと言えば、そうなのかもしれませんが、、、。

 

その当時の悲しい気持ちが

大好きな音楽を聴くことによって呼び起こされるのは

悲しい気持ちにはなりますが、嫌な気もしないというのは不思議なものです。

 

センチメンタルな気分に浸るのも、たまには悪くないのかな。

 

みなさんには

五感によって思い出される記憶というものはありますか?

 

 

おわり!